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単騎
「単騎〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
単騎の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
のであり、その権式に至っては武将大名と等しかった。 そうかと思うと※従を屏け、
単騎独行山谷を跋渉し、魑魅魍魎を平らげたというから、その行動は縄墨をもっては、断....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
繁文縟礼が驚くべき勢いで廃止され、上下共に競って西洋簡易の風に移り、重い役人でも
単騎独歩で苦しくないとされるようになったのは、皆この慶喜の時代に始まる。フランス....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
を読むと、たちまち顔色を変え、「暴動がある。」と叫びながらそこそこに暇を告げて、
単騎で智恩院へ駆けつけた。そしてパアクスに向かって、すみやかに兵庫へ帰ろう、軍艦....
「若き日の成吉思汗」より 著者:林不忘
、ははははは。おれは君に、どうしても告白しなければならないことがあって、途中から
単騎、馬を飛ばして引き返して来たのだ。 札木合《ジャムカ》 ううむ、こんなにおれ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
内者ですらも二の足を踏んで引留めるくらいだから、これはむしろ、誰にも告げないで、
単騎独行に限ると思いました。 仏頂寺らの豪傑連はどこを歩いているか、ほとんど寄....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
になったのだ――ただ一人の「永徳」にあこがれて、矢も楯もたまらぬ思いで、松島まで
単騎独行するのだという意気を見せたが、一座があまりその興にのらないのを不足としま....
「新西遊記」より 著者:久生十蘭
ひとつ知られていない。郡司大尉の千島探検隊の出発から遅れること十カ月、福島中佐が
単騎旅行を終えようとする明治廿六年の十二月、イルクーツクでロシア人の茶の隊商に加....
「かくれんぼ」より 著者:斎藤緑雨
ころは紛れもない下心、いらざるところへ勇気が出て敵は川添いの裏二階もう掌のうちと
単騎|馳せ向いたるがさて行義よくては成りがたいがこの辺の辻占淡路島通う千鳥の幾夜....
「無月物語」より 著者:久生十蘭
せつのまい》などというありきたりな風流ごとにはどうしてもなじめない。宿場の遊女を
単騎で征伐に出かけるのも仕事の一つだが、そのほか毎夜のように邸を抜けだして安衆坊....
「三国志」より 著者:吉川英治
方の闇はすべて敵の兵となって、 「曹操を生捕れ」とばかり圧縮してきた。 曹操は
単騎、鞭打って逃げ走ったが、その夜、巽の口で討たれた部下の数は、何千か何万か知れ....
「三国志」より 著者:吉川英治
かに武装はしていなくとも、こちらはわが麾下の錚々たる者のみ二十人もいるのに、彼は
単騎、ただひとりではないか。あれくらいな要心はゆるしてやるべきである」 そして....
「三国志」より 著者:吉川英治
阿斗の君をおたずね申してくる」 云い残すや否や、趙雲は、ふたたび馬を躍らせて、
単騎、敵の中へ駆けて行った。 すると彼方から十人ほどの部下を従えた若い武者が、....
「三国志」より 著者:吉川英治
の恩!」 彼は、あえて無謀な戦闘へ突入した。悲壮な自滅を覚悟したものとみえる。
単騎、敵陣へ深く斬り入って帰ろうとしなかった。 そのとき一つの丘の上に、曹操の....
「三国志」より 著者:吉川英治
び立てたときは、彼はすでに主将潘璋と戦っていたのである。 「関羽が仇を報ぜんと、
単騎ここに来る。かくいうは蜀第一の老骨黄忠なり」 と、そこの帷幕へ迫って大声に....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
をしぼった。そしてその実現を見る日は、今を措いてはないと信じていた。 陸路を、
単騎いそいで、荒木村重に会い、近畿の形勢をたずね、また中国進攻の場合の備えに何か....