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「印可〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

印可の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
クララの出家」より 著者:有島武郎
に行って、イノセント三世から、基督を模範にして生活する事と、寺院で説教する事との印可を受けて帰ったのは。この事があってからアッシジの人々のフランシスに対する態度....
八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
。名に負う鏡弓之進は、高遠の城主三万三千石内藤|駿河守の家老の一人、弓は雪河流の印可であるが、小中黒の矢をガッチリとつがえキリキリキリと引き絞ったとたん、 「待....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
漢学を深くも修めていなかったが祖父なるものは徂徠派の学を究め、旁ら甲州派の軍学も印可を受るまでになっていた。それらの文武の書籍も沢山に遺っていたので、私は本箱を....
安吾武者修業」より 著者:坂口安吾
後に信州伊奈の浪合に一寺を造って定着し、ここで多くの門弟に剣を伝えた。この浪合で印可皆伝をうけたものが十四名あって、その一人に樋口太郎|兼重があり、これが馬庭念....
柳営秘録かつえ蔵」より 著者:国枝史郎
俺はな、今から十日前まで、紙鳶堂先生のお側に仕え、形学の奥義を究めていたものだ。印可となってお側を去り、これから長崎へ行くところだ。そこでもっと修行するのよ。と....
法然行伝」より 著者:中里介山
それぞれの宗派宗派の先達《せんだつ》に会って自分の解釈を述べて見ると何れもそれを印可して、賞美しないものはなかった。 清涼寺の七日の参籠を済せて、それから南都....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
」 口ぐせに、彼のいうとおり、彼の居間の棚には、常に、伊勢守から受けた新陰流の印可と、四巻の古目録とが奉じてあり、忌日には、膳を供えて祠ることも忘れなかった。....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
当のつかない品物だった。巻を下へ置いて、端の方から徐々に繰り展げて見てゆくと――印可 一 中条流太刀之法 一 表 電光、車、円流、浮きふね 一 裏 金剛、高上、....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
たものだった。そのうち、金はきれいに費ってしまい、懐中に残っていたのは、中条流の印可目録と、あの印籠が一つ。 「六部のやつ、あの印籠は、おれの主人の持物だといっ....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
、遂に、下総の小金ヶ原で、彼と試合して、彼を斬った。そして、一刀斎から、一刀流の印可伝巻を授けられたのであった。 ――今。 佐々木小次郎を見て、彼はその善鬼....
鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
り、よい策のように考える。ただ弦之丞は大番頭法月一学の伜、公儀の隠密役としての御印可あるや否や、その点だけがちと心配であるが……」 「段々とありがたいお取り計ら....
鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
出た寺触で、春の道者船停止の沙汰が公示してある。 例年当寺ニテ執行ノ阿波丈六寺代印可ノ儀|併ビニ遍路人便乗ノ扱イ等|俄ニ阿州家ヨリ御差止メ有之候ヲ以テ中止イタシ....
鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
や、まだ解せないものが、それに添えてある三|衣袋の中にあった。阿州普化宗院派僧の印可を焼印した往来手形である。それは、身をつつんで遁れろといわんばかりな品である....
私本太平記」より 著者:吉川英治
門から密々|市へ捌かれていた物といってよい。そして朝廷の大官は日本政府の名による印可符(許可証)を彼の交易船に貸していたというわけでもある」 「お待ちください。....
私本太平記」より 著者:吉川英治
職屋敷ではまず従来から乞食扱いにされていた盲の琵琶弾きを収容して、これに官の印可と保護を与えた。また、すさんだ大道芸に平曲のよさを習得させた。さらに筋のいい....