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「印綬〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

印綬の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
国号の由来」より 著者:喜田貞吉
も今の筑前博多地方にあった奴国の王は、後漢の光武帝の時に入貢してその冊封を受け、印綬を賜わったことが後漢書に見えている。しかるに天明年間、その博多附近の志賀島か....
三国志」より 著者:吉川英治
支那をひとたびは統一した帝王の血がおまえの体にながれているのです。あの剣は、その印綬というてもよい物です」 「…………」 「だが、こんなことは、めったに口に出す....
三国志」より 著者:吉川英治
した。 次の日。 式場に三重の壇を築き、五方に旗を立てて、白旄、黄鉞、兵符、印綬などを捧持する諸将の整列する中を、袁紹は衣冠をととのえ、剣を佩いて壇にのぼり....
三国志」より 著者:吉川英治
らない様子であった。 彼はただその日、劉備玄徳に勅使が下って、正式に徐州の牧の印綬を拝したと聞いたので、その祝辞をのべるために、玄徳に会いに来たのである。 ....
三国志」より 著者:吉川英治
人だったら、われらとも、よい義兄弟になれたろうに」 そういって、こんどは快く、印綬を受けた。 かかる折に、戦場から早馬が到来して、「袁紹の大将にして、顔良の....
三国志」より 著者:吉川英治
は残念だが、彼が巴丘から帰ってきたらよう伝えてくれい」 そういうと、彼は、呉の印綬を解いて、手ずからこれを孫権に譲った。 孫権は、おののく手に、印綬をうけな....
三国志」より 著者:吉川英治
大将や武士に、十重二十重、護られていた。 蔡夫人は、子の劉※に代って、故劉表の印綬と兵符とを、錦の布につつんで、曹操の手へあずけた。 「神妙である。いずれ、劉....
三国志」より 著者:吉川英治
とはひきうけました」 「では」 と、孔明は、玄徳から預けられていた荊州総大将の印綬を彼に渡した。 関羽は、拝受して、 「大丈夫、信をうけて、しばしなりと、一....
三国志」より 著者:吉川英治
曹操は、至極とうなずいて、 「そう、そう、よく気づいた。孫権へ驃騎将軍、南昌侯の印綬を送ってやろう。そして荊州の牧を命ずと、発表するがよい」と、手続きを命じた。....
三国志」より 著者:吉川英治
一国の生命にかかわりましょう。――むしろこの際、野に隠れたる大人物を挙げ、これに印綬を下し給うて、孔明をして窮せしめるに如く策はありません」と、のべた。 鍾※....
私本太平記」より 著者:吉川英治
いうだけのものではなかった。 同時に、このさい、 征夷大将軍|総追捕使 の印綬を自分にたまわりたいと、あわせて、請うていたのである。だが、 「もってのほか....