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印象批評
「印象批評〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
印象批評の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「作家に語りかける言葉」より 著者:宮本百合子
をなす重要な部分ではあるまいかと考える。日本の文芸批評は、十年ほど前に鑑賞批評、
印象批評から発展して、漸々《ようよう》社会的文学的にある客観的な意義をもった評価....
「近頃の感想」より 著者:宮本百合子
ョア作家として仕事をしていた頃は、ブルジョア文壇の当然の性質として批評は主観的な
印象批評が多かった。私は、個人的なものの考え方で、すべての毀誉褒貶《きよほうへん....
「昭和の十四年間」より 著者:宮本百合子
昭和二年に蔵原惟人の「批評の客観的基準」という論文を送り出している。これより先、
印象批評に対して、「外在批評」ということが云われており、そのことでも、主張される....
「作家の経験」より 著者:宮本百合子
というような表現で提起されるありさまであった。文芸批評はそのころすべて主観に立つ
印象批評であったから、在来の日本文学の世界の住人たちの感情にとって、プロレタリア....
「両輪」より 著者:宮本百合子
題がとりあげられるまで、日本の文芸批評は、ほとんどすべて批評するものの主観による
印象批評であった。一人の若い婦人作家が、少しずつ作品をかきはじめたようなとき「臍....
「五〇年代の文学とそこにある問題」より 著者:宮本百合子
とその実験にかかわる文学の、原理的な諸問題について究明される態度は全く消された。
印象批評と放談のうちに、ジャーナリズムと読者とに対するある種のデモンストレーショ....
「思想としての文学」より 著者:戸坂潤
記と云ったような低調な一種の創作に変質して了うし、それでなければ他方に於てただの
印象批評の範疇を脱することが出来ないことになる。そしてここでは作文の答案に必要な....
「あとがき(『宮本百合子選集』第六巻)」より 著者:宮本百合子
論の面では、平林初之輔、青野季吉、蔵原惟人等によってブルジョア文芸批評の主観的な
印象批評に対して、文学作品のより客観的科学的な批評の必要が提唱されていた時代であ....
「新感覚論」より 著者:横光利一
。すると、或る種の人々は分らないと云って悪罵した。自分は感覚を指標としての感覚的
印象批評をしたまでにすぎなかった。それは如上の意味の感覚的
印象批評である以上、如....
「歌の円寂する時」より 著者:折口信夫
理かも知れない。短歌の天寿は早、涅槃をそこに控えて居る。私は又、此等の人々から、
印象批評でもよい、どうぞ分解しないで、其まま聞かして貰いたいと思う。何にしても、....
「クリティシズムと認識論との関係」より 著者:戸坂潤
識物を、従って又認識を、検討するものだという自覚を当然持つ筈である。科学的批評と
印象批評というような涯しない対立は今どうでもよい。いずれの批評に於ても、クリティ....
「哲学の現代的意義」より 著者:戸坂潤
実はその同じ文化現象に対してこの法則を適用するということでなければならない。所謂
印象批評なるものは、普通、法則の抽出も適用も考えていないクリティシズムのやり方だ....
「文芸評論の方法について」より 著者:戸坂潤
している。と共に、他方この放言的な雑言(?)(雑文に出る言葉という意味だ)が所謂
印象批評の言葉でもあるということを、忘れてはならぬ。
印象批評の言葉と文壇的方言と....
「所謂批評の「科学性」についての考察」より 著者:戸坂潤
ても云い過ぎる心配のないことでもあると思われる。――でこの意味に於て、批評は凡て
印象批評であると云ってよく、所謂「
印象批評」なるもののヒドラのような不屈振りも亦....