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厚木
「厚木〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
厚木の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
せに草鞋《わらじ》をはきゃあがって、甲府から郡内の方をうろ付いて、それから相州の
厚木の方へ流れ込んで、去年の秋頃から江戸辺へ舞い戻っていますよ」 「馬鹿にくわし....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
。口を開くまい。辱かしいことである。申訳なき事である。 八月二十八日 ◯本日、
厚木へ米先遣部隊、空輸にて着陸す。テンチ大佐以下百五十名。 ◯その前日に、十七隻....
「雛妓」より 著者:岡本かの子
の家霊を実物証明によって見出すのであった。 北は東京近郊の板橋かけて、南は相模
厚木辺まで蔓延していて、その土地土地では旧家であり豪家である実家の親族の代表者は....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
内の道筋というのは、どっちの方角だった」 「それは……その、八王子から平塚街道を
厚木の方へ出る道をたずねられたものですから、その案内をして上げました」 「いや、....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
に、ほんの一足です、真直ぐに引張れば五里といったところでしょうけれども、いったん
厚木へ出て戻るのが順ですから、延べにして八里と見積れば、たっぷりです」 がんり....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
とに何がのこったでしょう」と。 二十六日に第一次進駐が開始されます。東京湾から
厚木(神奈川)の方へ。
厚木というところには、農民作家なる和田伝が居りましたね地主....
「白藤」より 著者:豊島与志雄
になりました。然し、妹と一緒でなく、一人で行くことにしました。 細川の人々は、
厚木の近くに移転していましたし、そちらへは、保治も帰還後すぐに訪れていました。焼....
「集団見合」より 著者:坂口安吾
けている。三十分ほどして戻ってきたから、 「オイ、あの女は、横浜で焼けだされて、
厚木の近所の農村へ疎開してると云ったろう」 「アレ、僕たちの話、立聞きしましたね....
「火の扉」より 著者:岸田国士
の数時間であつた。 夫の勤務先で、同時に宿舎になつている工しようは、八王子から
厚木へ通じる電車の沿線で、H町という停留場で降りることになつているのだが、彼女は....
「だいこん」より 著者:久生十蘭
とみえて笑いながらうなずいた。 十九日 日曜 敗戦後、最初の〈暗い日曜日〉
厚木の相模原航空隊の若いひとたちが、見るもあわれなボロ飛行機で、今日も早くから抗....
「水垢を凝視す」より 著者:佐藤垢石
鮎であっても水垢を食べているのと、いないのとでは味も異う。相模川にしたところが、
厚木から下流の砂底や小石底の場所を通過しているのを、漁って食べて見て、久保沢あた....
「瀞」より 著者:佐藤垢石
里、この川口で大きな信濃川に合している。一つの支流ではあるけれど、水量は相模川の
厚木地先あたりに比べると、さらに豊かだ。清冽の流水は、最上の小国川に比べてよいと....
「水の遍路」より 著者:佐藤垢石
い。江戸川、中川、綾瀬川など、もちろんのことだ。 相州の相模川は、与瀬から下流
厚木付近まで、東京の鮎釣りの人で知らぬ人はあるまい。さらにその下流の馬入川では、....
「母子像」より 著者:久生十蘭
進駐軍、
厚木キャンプの近くにある、聖ジョセフ学院中学部の初年級の担任教諭が、受持の生徒の....
「若鮎の気品を食う」より 著者:北大路魯山人
ほんとうの鮎とは言えない。東京近くでは若鮎ならば酒匂川の下流が割合によい。多摩、
厚木などのものは、私どもの口に合わない。 若鮎も三寸五分、四寸となると、いよい....