原土[語句情報] » 原土

「原土〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

原土の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
文七元結」より 著者:三遊亭円朝
《ひっぱ》いでこれを着て出掛けました。 三 左官の長兵衞は、吉原土手から大門《おおもん》を這入りまして、京町一丁目の角海老楼《かどえびろう》の....
真景累ヶ淵」より 著者:三遊亭円朝
、此方《こっち》の左《ひだ》り手に見える燈火《あかり》は何《ど》うしてもあれは吉原土手の何《なん》だ、茶屋の燈火に違《ちげ》えねえ、そうして見れば此方にこの森が....
老中の眼鏡」より 著者:佐々木味津三
る屋台の灯がまた六つ見えた。闇に咲く淫靡な女達が、不思議な繁昌を見せているあの柳原土手である、それゆえにこそ、くぐり屋台の六つ七つは当り前だった。 しかし客足....
菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
アから、貴方皿ア割っちゃアいけないよと云ったら、お嬢様が余程薄いもんだそうだし、原土で拵えたもんだから割れないとは云えないから、それを云ってくれちゃア困るよと仰....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
四十五本。栗、およそ六百本。これに大屋下の松十五本と、比丘尼寺の松十五本と、青野原土手の十三本を加えると、都合総計およそ七百三十本ほどの大小の木が倒れたとのこと....
雪之丞変化」より 著者:三上於菟吉
したから、近づく相手が、たやすくかかろうはずがない。 浅草田圃から、いつか、吉原土手を、南につたわって、二人ちりぢりに、見えなくなってしまった。 朝になると....
旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
の名にしてしまっていたのだった。 この加頭一家は、十一月の酉《とり》の町には吉原土手へ店を出した。熊手の簪《かんざし》を売ったこともあったが、篠《ささ》に通し....
停車場の少女」より 著者:岡本綺堂
も急にあたたかくなりました。小田原から電車で国府津に着きまして、そこの茶店で小田原土産の梅干を買いました。それは母から頼まれていたのでございました。 十二時何....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
観音堂から堂へ向って右手の方は、馬道、それから田町、田町を突き当ると日本堤の吉原土手となる。雷門に向って右が吾妻橋、橋と門との間が花川戸、花川戸を通り抜けると....
顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
と言いながら、ヒョイとかたわらにおいてある駕籠を見ると、これがひどい。 吉原土手で辻斬にあったやつがお鉄漿溝《はぐろどぶ》の中へころげこんで、そこに三年|....
酒徒漂泊」より 著者:佐藤垢石
、ネオンの管が渦巻いている。あのとき、この村の縄暖簾で鍋一枚七銭の馬肉を食べ、吉原土手では一枚四銭であるのに、と言って憤慨してからもう年月はいくつ流れたであろう....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
おいりづつみ》、芝藪小路《しばやぶこうじ》等にして向島《むこうじま》、日本橋、吉原土手等においてはかへつてさしたる逸品をなさしめざりき。浅草観音堂|年《とし》の....
素人製陶本窯を築くべからず」より 著者:北大路魯山人
翁が雇傭の瀬戸工人某なる者、私の窯場にて瀬戸系研究に耽るAなるものと談話中、志野原土の大萱に発見されたること、星岡窯に持ち帰ったること等が話題となって明瞭し、某....
すみだ川」より 著者:永井荷風
前で歌ったが金にならないと見たか歌いも了《おわ》らず、元の急足《いそぎあし》で吉原土手《よしわらどて》の方へ行ってしまった。 長吉はいつも忍会《しのびあい》の....
粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」より 著者:三遊亭円朝
くという詮議の処でございます。 さて引続きのお話は寛保三年九月二十日の晩に、吉原土手で荷足の仙太郎が頭巾|目深の怪しの侍に出逢いまして、どうも仙台河岸で見た侍....