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「厳父〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

厳父の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
般若心経講義」より 著者:高神覚昇
が、おられると説いているのです。けだし、これは果たしてどんな意味なのでしょうか。厳父と慈母です。叱ってくれる愛、それは智慧の世界です。批判の世界です。折伏の世界....
東京八景」より 著者:太宰治
親が立っているだけである。 「安心して行って来給え」私は大きい声で言った。T君の厳父は、ふと振り返って私の顔を見た。ばかに出しゃばる、こいつは何者という不機嫌の....
小説 不如帰 」より 著者:徳冨蘆花
ほほえみつ。「何、そうでもないが、子供はかあいがッた方がいいさ」 「でもあなた、厳父慈母と俗にも申しますに、あなたがかあいがッてばかりおやンなさいますから、ほん....
日本人の自然観」より 著者:寺田寅彦
、またしばしば刑罰の鞭をふるってわれわれのとかく遊惰に流れやすい心を引き緊める「厳父」としての役割をも勤めるのである。厳父の厳と慈母の慈との配合よろしきを得た国....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
尚は欣《よろこ》んで、慧能大師《えのうだいし》の石臼の物語をはじめ、 「慧能ガ厳父ノ本貫ハ范陽《はんよう》ナリ。左降《さこう》シテ嶺南ニ流レテ新州ノ百姓トナル....
社会時評」より 著者:戸坂潤
が「農村問題」対策なのである。 二、寄付行為 東大法学部教授末延三次氏は厳父の遺言で遺産の内から百万円だけを区別して、「末延財団」という財団法人を設立し....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
にかかわらず、この態度は同様である。この頃であった、美術家で有名なる岡倉覚三氏の厳父が俳句をやられるので、私はその俳席へも出た。また牛込の宗匠たる岡本半翠氏は、....
レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
近寄っていった。 ガヴローシュはその信頼の様子に年長者らしく心を動かされて、「厳父から慈母に」変わり、年下の方に言葉をかけてやった。 「ばかだな。」と彼は甘や....
工学博士末広恭二君」より 著者:寺田寅彦
等学校を経て東京帝国工科大学造船学科へ入学し、明治三十三年卒業した。高等学校時代厳父の死に会い、当時家計豊かでなかったため亡父の故旧の配慮によって岩崎男爵家の私....
佳日」より 著者:太宰治
しいステッキを振りまわして歩きたがるのと同断である。大隅君は、野蛮な人ではない。厳父は朝鮮の、某大学の教授である。ハイカラな家庭のようである。大隅君は独り息子で....
小山内薫先生劇場葬公文」より 著者:久保栄
の活動であり、最後の業績でありました。創立以来四年有半、朝夕先生の謦咳に接して、厳父のごとく仰ぎ見、慈母のごとく慕っていたわれわれ八十人の同志は、にわかに先生の....
申訳」より 著者:永井荷風
、茶屋の内儀又は妓家の主婦を「かアさん」というのを耳にする。良家に在っては児輩が厳父を呼んで「のんきなとうさん」と言っている。人倫の廃頽《はいたい》も亦極れりと....
六号室」より 著者:瀬沼夏葉
見ましょうかな。貴方は一|生涯誰にも苛責されたことは無く、健康なること牛の如く、厳父の保護の下に生長し、それで学問させられ、それからして割のよい役に取付き、二十....
仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
にっぽんの秋のくれがた 冷い雨が降っていますよ つわぶきの黄いろい花が眼に沁みる厳父、慈母と言って、父親は厳格、母親は慈しみ深いのが特色のように極められています....
『唯研ニュース』」より 著者:戸坂潤
甫の真中の巌木君の家で、丸一日の静養を必要とした。中野君はプロ文学の愛読者である厳父の下に走ったが、僕は悄然として、七日の早朝、上野のホームに下り立ったわけであ....