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「参向〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

参向の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
かれもまた今は文字どおり疾風迅雷でした。すぐに裏口伝いを濠《ほり》に沿って城中へ参向すると、ようやくお目ざめになったばかりの伊豆守に向かって、猪突《ちょとつ》に....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
、だからわいわいとたち騒いでいる満座の者を押し分けて、倉皇《そうこう》としながら参向すると、一言もむだ口をきかないで、ただじいっとばかり伊豆守の顔を見守ったもの....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
う》職からお招き状がありましたので、右門も同役たち一同とともにそのお私宅のほうへ参向いたし、何かと協議を遂げて、お組屋敷へ引きさがったのは、かれこれもう晩景に近....
元禄十三年」より 著者:林不忘
傾《かし》げた。 「知りませんな。が、これだけのことは存じておる――勅使院使公家参向当日、お使い御老中、高家さしそえこれをつかわさる。御対顔につき、登城。摂家宮....
梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
は催能前の二箇月間に亘って執行されたもので、祭能当時は日本全国、朝野の貴顕紳士が参向したほかに、古市公威、前田利鬯子爵等が下県して能を舞われた。 同社に保管さ....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
て其事定まり、朝命に従い北条攻めの軍に従えとは昨年よりの催促、今に至って小田原へ参向するとも時は晩《おく》れ居り、遅々緩怠の罪は免るるところはござらぬ、たとえ厳....
死者の書」より 著者:折口信夫
兄の家から、弟仲麻呂―押勝―の方へ移ろうとしている。来年か、再来年の枚岡祭りに、参向する氏人の長者は、自然かの大師のほか、人がなくなって居る。恵美家からは、嫡子....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
、ほとんど隙《ひま》さえ見出せば老師のお邪魔をしたものです。ある時のこと、これへ参向して、上人のおいでになる扉の外で、こういうことを考えたです、こうして、うるさ....
源氏物語」より 著者:紫式部
なども桟敷へ伺候して来るので男子席のほうへ出て行った。今日近衛の将官として加茂へ参向を命ぜられた勅使は頭中将であった。内侍使いは藤典侍である。勅使の出発する内大....
水の女」より 著者:折口信夫
申しき。その時、其津の水沼於而、御身|沐浴ぎ坐しき。故、国造の神吉事奏して朝廷に参向ふ時、其水沼|出而用ゐ初むるなり。 出雲風土記考証の著者後藤さんは、やはり....
秦の憂愁」より 著者:豊島与志雄
き込みがあった。――御隙ならば御来駕願い度く、この使者が御案内仕る可く、当方より参向すべきを、失礼の段御容赦下され度く候。 星野は飛び上った。廊下には一人の中....
私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
文でも、客の方から出かけて行かなければならぬ(ただプリンスの御注文だけは洋服屋が参向することになっている。但しこの場合出張費と自動車代とを請求するのである)。こ....
周防石城山神籠石探検記」より 著者:喜田貞吉
は郷社の社格であるので、郡視学たる西原君は郡長に代り奉幣使として当神社祭典の際に参向した。当山にはかねて山姥の穴として知られた四つの穴がある。西原奉幣使は登山の....
私本太平記」より 著者:吉川英治
形相とは」 「正季一人のみか、辺りの面々までが申す。もう正成どのが、われらの笠置参向を阻めるなら、一戦も辞すまいなどと、声も猛々、言いののしる有様だ。これでは、....
私本太平記」より 著者:吉川英治
。 また、同日。 赤松円心|父子四人が、勢五百騎で、奉迎のお供にと、福厳寺へ参向してきた。折しものことである。龍顔わけてうるわしく、 「かかる日に会しえたの....