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「参府〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

参府の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
に取った品です。御承知でもありましょうが、江戸時代にはオランダ人が五年に一度ずつ参府して、将軍にお目通りを許される事になっていました。大抵二月の二十五日ごろに江....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
衆の入国、十四代将軍が京都より還御のおりの諸役人らの通行、のみならず尾張大納言が参府と帰国等、前代未聞の大通行が数え切れない上に、昨年日光御神忌に際しては公家衆....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
いる。 その翌年、西暦千六百九十二年(元禄五年)に、今一度オランダ使節は江戸へ参府することになった。そこでケンペルもまたその一行に加わって内地を旅する再度の機....
艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
ない事かと存じます。何分御覧の通り、老年の身の上、この度帰国いたしました上は次の参府はとても望まれないことかと存ぜられますので……」 三斎の言葉には、生のある....
名人地獄」より 著者:国枝史郎
兵を置けば、両街道から押し寄せて来る、敵の軍勢をささえることが出来た。大名などが参府の途次、追分宿へとまるような時には、必ずここへ夜警をおいて非常をいましめたも....
平賀源内捕物帳」より 著者:久生十蘭
通詞の吉雄幸左衛門《よしおこうざえもん》や通詞の西善三郎なども招かれて来ていて、参府の折の本草会の話なども出たが、先生の胸中には悲哀の情と佶屈《きっくつ》の思い....
志士と経済」より 著者:服部之総
報国精忠十八歳。毀家貧士二十金」というのがある。これは安政六年のはじめ、長藩主の参府を伏見に要して尊攘の機を掴もうといういわゆる要駕策決行のため、門人野村|和作....
私本太平記」より 著者:吉川英治
倉近傍だけでなく、遠くは房総から、甲信の方面にまでわたっていた。それも、 一々|参府ニ及バズ、各、領国ヨリ即日、出兵セヨ という急命で、宗徒の大小名二十一家が....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
である。 寛永十二年の末、将軍の命に依って已むを得ず江戸に出ることになったが、参府前、但馬国主|小出吉英に宛てた書面に、 近日江戸へ不被下候而不叶候故迷惑仕候....
木綿以前の事」より 著者:柳田国男
の失われたる事実を詳かにすべきは当然である。しかも私などは僅かにケムペルの『江戸参府紀行』によって、東国の下級修験等の常の日の生活を知り、さらに溯っては能の狂言....