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参議
「参議〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
参議の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「仇討禁止令」より 著者:菊池寛
る者は、非常に少ない。貴公などは、その少ないうちの一人じゃ。大いに頑張って、末は
参議になってもらいたい」と、伊織はいった。 「いや、そうはいきません。やはり、薩....
「近時政論考」より 著者:陸羯南
率いて本国を去れり、ここにおいて廟堂は西郷大将をはじめ副島、江藤、後藤、板垣の諸
参議を残し、ほとんど国権派の世となれり。勝、大木、大隈の諸政事家はこの間もっぱら....
「連環記」より 著者:幸田露伴
横川に増賀の聖が摩訶止観を説くに当って、寂心は就いて之を承けんとした。 増賀は
参議|橘恒平の子で、四歳の時につきものがしたように、叡山に上って学問をしよう、と....
「まぼろし」より 著者:国木田独歩
って来たって何事をしでかすものか。』これがかれの句調であった。 『東京がなんだ、
参議がどうだ、東京は人間のはきだめよ。俊助に高慢な顔をするなって、おれがそう言っ....
「安吾巷談」より 著者:坂口安吾
野坂中尉という指導者が上にあって、だいぶ下の下になるが、除名された中西伍長という
参議院議員など、さらに末端の兵卒に至るまで順序よく配列されているわけだ。 中西....
「開運の鼓」より 著者:国枝史郎
った。彼はいつでも平和であった。晩年になるといよいよ益益彼の襟懐は穏かになった。
参議兼海軍卿。こんなに高い栄誉の位置に一度は登ったこともある。従二位勲一等伯爵と....
「ハイカラ考」より 著者:木村荘八
前のようなお姿で、東下りなさったのであったが、明治四年になると散髪令一下されて、
参議連の木戸、大隈、伊藤等の頭上から一瞬にしてちょん髷がなくなり、つづいて日本中....
「三十年前の島田沼南」より 著者:内田魯庵
若い沼南が島田家に寄食していた時、懐われて縁組した恋婿であったそうだ。沼南が大隈
参議と進退を侶にし、今の次官よりも重く見られた文部|権大書記官の栄位を弊履の如く....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
を一層|喚びもした。その頃までは青年の青雲の希望は政治に限られ、下宿屋から直ちに
参議となって太政官に乗込もうというのが青年の理想であった時代であったから、天下の....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
基衡は果福父に軼ぎ、奥羽両国を管領すとある。彼は九条関白家に自筆の額を請い、また
参議藤原教長に請うて、堂中の色紙形を書いて貰ったとある。彼がやはり父の方針をつい....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
るという。すなわち、当代は二百六十三代目の法王なり。 法王の下には、法王の大臣
参議もしくは顧問官とも称すべきもの数十名、相会して議事を開く。その人員一定せずと....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
いで、普通には大中|納言に止まる家柄であった。父|俊忠も中納言になったが、俊成は
参議に任ぜられるように願ってついに望みをはたさず、安元二年、六十三歳で出家して釈....
「浅沼稲次郎の三つの代表的演説」より 著者:浅沼稲次郎
みを感じ、かつ岸内閣に鋭い怒りを感じているものであります。(拍手)ここでわが党の
参議院議員佐多忠隆君が貴国を訪問して三原則、三措置、すなわち、(1)中日両国の正....
「まあまあ居士の弁」より 著者:浅沼稲次郎
のであるが、日本勤労階級の社会党統一の要求は四月大会に於てその統一を完成し今回の
参議院議員の改選には一大進出をなし、党内における労働階級の指導性は確立せられんと....
「融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
ないという理由から、やはり非人と言ってよいのかもしれませぬ。橘|逸勢という人は、
参議をもつとめましたほどの身分の人でありましたが、罪を犯して公民権を削られました....