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「反別〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

反別の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
夜明け前」より 著者:島崎藤村
からで。 本陣問屋庄屋の三役を勤めるに必要な公用の記録から、田畑家屋敷に関する反別、年貢、掟年貢なぞを記しつけた帳面の類までが否応なしに半蔵の前に取り出された....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
山氏系図、木曾谷中御免荷物材木通用帳、御年貢皆済目録、馬籠宿駅印鑑、田畑家屋敷|反別帳、その他、青山の家に伝わる古い書類から、遠い先祖の記念として残った二本の鎗....
みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
で青山街道に近く、一は品川へ行く灌漑用水の流れに傍うて居た。此等は彼が懐よりも些反別が広過ぎた。最後に見たのが粕谷の地所で、一反五畝余。小高く、一寸見晴らしがよ....
石狩川」より 著者:本庄陸男
ょう、それらの交通路に面して、各戸に割りあてる地積は、間口四十間の奥行百間、この反別は一戸当り一町三反三|畝《せ》余となし――」 「狭い――!」 役人は叱咤《....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
がわたくしに電話を掛けていった。自分はかつて府庁にいたものである。その頃無税地|反別帳という帳簿があった。もしそれがなお存しているなら、嶺松寺の事が載せてあるか....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
、その嶺岡の牧場というのは、嶺岡山脈の大半を占める牧牛場――周囲は十七里十町余、反別としては千七百五十八町余、里見氏より以来、徳川八代の時に最も力を入れ、南部仙....
或る農学生の日誌」より 著者:宮沢賢治
おもしろ》い。地図を見るのも面白い。ぜんたいここらの田や畑《はたけ》でほんとうの反別《たんべつ》になっている処《ところ》がないと武田《たけだ》先生が云《い》った....
文化史上より見たる日本の数学」より 著者:三上義夫
問題が発達上に大いなる関係を有したことが知られる。貸借問題、利足問題、年賦問題、反別問題、銀と灰吹問題、築堤の問題、材積の問題、物価関係の問題、暦術の問題、この....
飢餓地帯を歩く」より 著者:下村千秋
ると、一反二石が平作であるに対し、一反(三百坪)三斗乃至四斗であった。また全村総反別二百町の二割までは全然無収穫であったという。そうして百姓達は、粟と稗とで飢え....
不在地主」より 著者:小林多喜二
二十町歩位の田畑を持っている「地主」で、反当りで計算してみても、灌漑費、排水費、反別割、其他の税金、生活費用を見積ると、そこから上る六、七斗の小作料では引き合わ....
木綿以前の事」より 著者:柳田国男
材料は麻であった。麻は明治の初年までは、それでもまだ広く栽えられていた。その作付反別が追々と縮小の一途を辿っていたことを、世人は木綿ほどに注意していなかったので....