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収容所
「収容所〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
収容所の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「土曜夫人」より 著者:織田作之助
で眼がまわりそうになっちゃった。あんなとこにいてられへん」 寺院で経営している
収容所には、放浪性に富んだこの娘をひきとめる魅力は何一つなかったが、その埋め合せ....
「火葬国風景」より 著者:海野十三
鐘の声も聞えないところから見れば、それはまず当っていなかった。 (それでは、死体
収容所かも知れない?) 死体
収容所なれば、森閑としているのも無理がない筈だった....
「淪落の青春」より 著者:坂口安吾
許されるならオレはむしろそれを選ぶ、別に特別の愛着があるでもないが、そんなことを
収容所にいて思いめぐらしていた。 彼の生家は田舎の旧家で、兄が三人おり、下には....
「ヤミ論語」より 著者:坂口安吾
そこで問題はスリという犯罪よりも浮浪児の救済処置が重大な課題となるのであるが、
収容所へ送っては逃げられ、同じことを繰返しているのが現状のようである。 浮浪児....
「日月様」より 著者:坂口安吾
を訪ねてきて、私の一室へ住みたそうであったが、近所の罹災組がたくさんいて、まるで
収容所のようなものだから、彼氏の居る場所がない。三四日泊って、ほかに部屋を見つけ....
「火の扉」より 著者:岸田国士
からだが自由になつた。 「浜島茂か、おい、おい、あれや違うか、本部附からペナンの
収容所へ行つたのは? ほら、浜島なんとかいう上等兵がいたじやないか」 答えるも....
「光は影を」より 著者:岸田国士
しかめておいて、早速、リュック・サックにつめたろくでもない品物を一切売り払つた。
収容所を出る時、時計も万年筆も捲きあげられ、いよいよ乗船の間ぎわに、サイゴンの桟....
「安吾人生案内」より 著者:坂口安吾
これだけの教養があれば、さすがに宮様、見事であると申さねばならぬ。私は巣鴨の戦犯
収容所へ入れられたことのあるオヒゲの長いふとった御老体の宮様を思いだしましたよ。....
「明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
ンマか」 「イエ、私は満州からの引揚者だ」 「満州でアンマをやっとったのか」 「
収容所でアンマを覚えたのさ」 なるほどと私は思った。終戦後、引揚げの途中にアン....
「飛騨の怪談」より 著者:岡本綺堂
る。で、此土地の人が※を以て蒙古人の子孫と見るのが正当の解釈であろう。 彼等は
収容所を逃れ出でて深山の奥に隠れた。で、彼のピジョン講師の説明した如く、人の目を....
「恐怖の幻兵団員」より 著者:大倉燁子
してかたい誓約をさせてから、始めて、心の苦悶を打ち開けてくれたのです。 主人が
収容所にいました時、仲の好い名門の伜数名が集って、研究会のようなものをつくり、徒....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
とともに段々増加して、当初の粟田口付近の一箇所のみに収容し難くなり、他に五箇所の
収容所を設けて、いわゆる垣内をなした。垣内とはもと村と云う程の義で、特にこの非人....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
城戸町に移されて、後にはそこに悲田院という寺のみが残っているが、もとはそれも非人
収容所であったことを疑わぬ。そしてその地がただちに東北高御門の唱門師住所なる陰陽....
「融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
てこれを賤しみ、これを軽侮しようとは致しません。しかるに徳川時代にあっては、その
収容所の名称からして、これをお救い小屋とも、または非人小屋とも称し、その被収容者....
「濫僧考補遺」より 著者:喜田貞吉
戸の起原をなしたものだと言われている。北山十八間戸とは、般若寺坂における癩病患者
収容所で、旧幕時代までも継続し、その建物は今に遺っている。しかしいわゆる北山非人....