古墳[語句情報] »
古墳
「古墳〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
古墳の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「梓川の上流」より 著者:小島烏水
方法《やりかた》もあったものをと口惜しそうな顔をした。林道開拓のため、途に当った
古墳は、破毀《はき》されたのである。もう今ごろは石の砕片《きれっぱし》、一ツなか....
「金属人間」より 著者:海野十三
ポンのバットぐらいもある大きな虫めがねを一個おき、その横に赤い皮表紙の「エジプト
古墳小辞典《こふんしょうじてん》」という洋書を一冊ならべ、四角い看板灯《かんばん....
「河霧」より 著者:国木田独歩
、おのが影を追いながら小さな藪路をのぼりて行く。 藪の小路を出ると墓地がある。
古墳累々と崖の小高いところに並んで、月の光を受けて白く見える。豊吉は墓の間を縫い....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
いるのである。 本殿裏が蘇民の森だが、裏へまわってみると、この森はどう考えても
古墳である。その
古墳は神殿の真後の円形の塚一ツであるか、更にその後の山もふくめて....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
よろしい。 しかし、古代史の上ではこれほど大きな怪人物でありながら、建内スクネ
古墳と称してウネビに現存するものは大そうチッポケであるし、史上で表現された功績に....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
そこで私もチャンポン屋へはいる。陶器製のカナダライに相違ない平鉢の中へ、高句麗の
古墳の模型をつくって少女が運んでくる。
古墳の上側にかけてある物をしらべると多量の....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
ダの伝説の筋です。 現に水無神社のすぐ近くに位山と船山とあり、山上には巨石群、
古墳群があるそうですが、しかし前文の作者は、 「位山は諸木の中でも笏に用いる一位....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
ら、日本諸国の豪族は概ね朝鮮経由の人たちであったと目すべき根拠が多く、日本諸国の
古墳の出土品等からそう考えられるのであるが、
古墳の分布は全国的であり、それらに横....
「瘠我慢の説」より 著者:木村芥舟
わち先生|一家子女と共に老妻諸共、湯本の福住に寓すること凡三旬、先生に陪して或は
古墳旧刹を探り、また山を攀じ川を渉り、世の塵紛を忘れて神洞仙窟に遊ぶがごとく、大....
「「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
てその新井町の西には山地にかかって斐太村があり、ここに大字|飛太があって、竪穴や
古墳が多く遺され、先年その
古墳の一つから、奥羽地方縄紋式石器時代遺蹟から多く発見....
「火葬と大蔵」より 著者:喜田貞吉
恵君記事を見よ)。 我が国においてもまたかくの如きの葬法の古く行われたことは、
古墳の実地から往々証明せられるのである。和田千吉君が考古界六巻一号(明治三十九年....
「手長と足長」より 著者:喜田貞吉
貝塚にのみ伴うているのではない。かつて武蔵大里郡を旅行して、深谷町の東北、路傍の
古墳の上に手長大明神と書いた幟の幾本も立っているのを見た事がある。これを祭る人の....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
おいても、その盛んに行われたのは隋唐以来の事であったらしく、我が国においては所謂
古墳時代末期の遺物として、墳墓中から極めて稀に発見せらるる以外には、正倉院・三月....
「銀河の下の町」より 著者:小川未明
ん、私は、そんなうわさがあるところでないかと思って、ここへ立ち寄ってみたのです。
古墳のある丘や、畑には、金の蔵が浮かぶとか、金の鶏が浮かぶとかいううわさが、きま....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
ものを経塚山というそうな。その上部には鉢巻風に段地が山を一周している。段地の上は
古墳だとの説があるそうだが、あるいは館として穿った塹濠の址かも知れぬ。なにぶん雪....