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「古稀〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

古稀の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
行きついてみると、案の定金助は出先からもどりかえって、そこの長火ばちの向こうに古稀《こき》の老体とは見えぬがんじょうな体躯《たいく》をどっしりと横すわりにさせ....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
張り札にして、夜中にそれをはりつけて行くものさえあらわれる。上の伏見屋の金兵衛が古稀の祝いを名目に、村じゅうへの霑いのためとして、四俵の飯米を奮発したぐらいでは....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
父吉左衛門には隠そうと言うほど狼狽していた。その年の正月にはおくればせながら父も古稀の祝いを兼ねて、病中世話になった親戚知人のもとへしるしばかりの蕎麦を配ったほ....
明治美人伝」より 著者:長谷川時雨
、彼女たち姉妹のことを、もちつもたれつの仲であるといった。相州板橋にある山県公の古稀庵《こきあん》と、となりあう益田氏の別荘とはその密接な間柄をものがたっている....
関牧塲創業記事」より 著者:関寛
を感ぜり。依て自ら心に誇る処あり。ああ予は甞て徳島に在るの時に於て、七十歳を以て古稀と自ら唱えて、僅少なる養老費あるを以て安堵して孫輩の顔を眺めて楽みとし、衣食....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
齢では、七十一歳であった。七十は杜甫の詩に、『古来稀』ともいっていて、それ以来は古稀の祝と称えて誰れもする事である。しかし私は別に祝いたいという感もなく、また祝....
時 処 人」より 著者:岸田国士
えてみたら不都合であろうか? 山県有朋も伊藤博文も、ここに別荘を建て、それぞれ古稀庵、滄浪閣と名づけて、今もその跡が残つている。 北原白秋も谷崎潤一郎も三好....
柳原燁子(白蓮)」より 著者:長谷川時雨
時代、明治十八年に生れた。晩年こそ謹厳いやしくもされなかった大御所《おおごしょ》古稀庵《こきあん》老人でさえ、ダンス熱に夢中になって、山県の槍《やり》踊りの名さ....
鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
りません。私などはもとよりです。山県公は音羽大助の名で加っていられました。後には古稀庵主としてあります。その侍女の吉田貞子という方もお詠みになるので、「今度はお....
女心拾遺」より 著者:矢田津世子
る口を大きく開けて、わっはっはっと身をもみながら高笑いをする仕草など、どうみても古稀に近い人とは思われず、この若やぎようを家人は奇異の眼ざしで眺めやるのだった。....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
年の悪疫に斃《たお》れ、国芳は文久元年を以て世を去るや、江戸の浮世絵は元治元年|古稀《こき》の長寿を保ちし国貞の死去と共にその終局を告げしとなすも不当には非ざる....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
。(巴里偶成)) 欧州を一巡し、今日の盛況を見て賦したる一律あり。 文運駸駸振古稀、百工万学究帰。 (学問文化は急速に進むことはかつてない。各種の職人やあらゆ....
捕物小説のむずかしさ」より 著者:野村胡堂
先頃の「半七祭」を契機に、私は捕物作家としての仕事は終っても宜《い》い。私はもう古稀に近い頽然《たいぜん》たる老人だ。近頃大いに現れた若い捕物作家達に、この形式....
古い暦」より 著者:長谷川時雨
元気さに、今年五月早大内の演劇博物館で挙行される、御夫妻《おふたり》の喜の字と、古稀《こき》と、金婚式と、再修シェークスピヤ四十巻完訳のお祝いのことばかりがうれ....