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「古記〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

古記の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
十二支考」より 著者:南方熊楠
氏はこれを『歴史地理』へ抄載した。後に藤沢氏の『伝説』播磨の巻を見ると、かの地の古記を引いて、享禄三年(欧州人始めて日本へ渡来した年より十三年前)五月十一日、飾....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
た展覧会を見せてくれました。 そこには松本を中心にして、概して信濃一国に関する古記古文書がある。諸名士の遺物がある。藩の殖産興業の模範といったようなものもある....
死者の書」より 著者:折口信夫
た。 ……旧草に 新草まじり、生ひば 生ふるかに――だな。 近頃見つけた歌※所の古記録「東歌」の中に見た一首がふと、此時、彼の言いたい気持ちを、代作して居てくれ....
ヒノエウマの話」より 著者:坂口安吾
書き忘れても、丙午三月とか丁寅七月というように干支の方は書き忘れない。古い碑文や古記録なぞにはそれが多くて、いつの天皇のころの丙午であるか丁寅であるか、その判定....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
ミヤコをまン中に、交通は四通八達していたらしい。これを古に「山の辺の道」と云い、古記にも、崇神天皇には「御陵ハ山辺道ノ勾之岡ノ上ニアリ」とあり、景行天皇には「御....
酒渇記」より 著者:佐藤垢石
し。殿様今日御城へ御入也。酒一升七十文は、米価に比するに大抵五倍の差あり、酒価の古記に見えしものを参考するに、余り貴きに似たり――と、昔を恋しがった。 されば....
「焚書時代」を脱却」より 著者:中井正一
徴しのはじめであり、加速度的に民族の文化の衰えのきっかけとなるであろう。 良書古記録が紙の値段で売れて、硫酸で焼いてとかしてエロ本になったこの数年間は私たちの....
火葬と大蔵」より 著者:喜田貞吉
る筈なり。 と云っている。これに対して古事類苑の案には、貞丈の説妥当ならずとし、古記の記事によれば、「其の地に予め一大穴を鑿ち、火葬の後に其骨を墓に収めずして、....
国栖の名義」より 著者:喜田貞吉
国主神社は古くより久授呂宮と云ひ伝ふ。久授は国栖にて、呂は助語なるべし。寛文中の古記に、上古吉野の国栖人来りて此地に祀る所といへり。○按に、国主・栗栖・国栖の三....
間人考」より 著者:喜田貞吉
九升より弐石五斗迄を二歩五朱軒(四半軒)とし、弐石四斗九升以下を門男とす。 と古記録にあるそうであるが、それは幾分間人の意味が変って、単に貧乏人という風に解せ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
しかしここでも、古戦記のうえだけでは、さっぱり呑みこめないことばかりである。古記録のいずれもが、六波羅の敗亡を知るやいな、寄手の十数万騎、見えもなく、なだれ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
士卒ノ将トシテ、降人数万ヲ後ニ召シ具シ、花ノ都ニ帰リ給フ――と彼の凱旋をたたえた古記はそのまま義貞の風采と見てもよかろう。年は三十のなかば、元々の美男でもある。....
木綿以前の事」より 著者:柳田国男
葉は是に伴のうて普及した。木綿は平安朝のごく始めに、崑崙人が種を携えて漂着したと古記にはあるが、実際それが普及したらしい形跡は無い。舶来品だけが久しい間|珍重せ....
年中行事覚書」より 著者:柳田国男
ったが、この方は現に害虫をサバエという語があり、また五月蠅なす悪しき神などという古記の文句もあるので、田の神とは直接の繋がりはなさそうであり、強いて関係を付ける....
春の大方山」より 著者:木暮理太郎
五郎という人の家が四十間許離れた高みにあって、そこが頼朝の旅館であったといわれ、古記録の類もあろうと傍の人に教えられたが、前途を急ぐので立ち寄らなかった。附近に....