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史家
「史家〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
史家の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「西郷隆盛」より 著者:芥川竜之介
史学。君もドクタア・ジョンソンに軽蔑される一人ですね。ジョンソン曰《いわく》、歴
史家は almanac-maker にすぎない。」
老紳士はこう云って、頸《く....
「侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
」
こう言う伝説を信ずる人はここに引いた文章の示すように今日もまだ芸術家や美術
史家の間に残っている。大雅は玉瀾を娶《めと》った時に交合のことを行わなかったかも....
「さまよえる猶太人」より 著者:芥川竜之介
える猶太人」と食卓を共にした事があると云ったそうである。次いでは、フランドルの歴
史家、フィリップ・ムスクが千二百四十二年に書いた、韻文《いんぶん》の年代記の中に....
「後世への最大遺物」より 著者:内村鑑三
くれた。今日の王政復古を持ち来《きた》した原動力は何であったかといえば、多くの歴
史家がいうとおり山陽の『日本外史』がその一つでありしことはよくわかっている。山陽....
「初めて見たる小樽」より 著者:石川啄木
くいよいよ動かすべからずなった時、人はこの社会を称して文明の域に達したという。一
史家が鉄のごとき断案を下して、「文明は保守的なり」といったのは、よく這般《しゃは....
「宇宙の始まり」より 著者:アレニウススヴァンテ
のであり、我々には珍しくもまた不思議に思われるものであるから、有名なデンマークの
史家トロェルス・ルンド(Troels Lund)の記すところによってここにその演....
「茶の本」より 著者:岡倉覚三
がら、道教がアジア人の生活に対してなしたおもな貢献は美学の領域であった。シナの歴
史家は道教のことを常に「処世術」と呼んでいる、というのは道教は現在を――われら自....
「灰燼十万巻」より 著者:内田魯庵
滅亡は惨絶凄絶を極めて、永く後世をして転た浩嘆せしめる。近頃之を後人の仮作とする
史家の説もあるが、聖経、詩賦、文章、歴史等古代の文献が尽く猛火の餌食となって焔々....
「怪異黒姫おろし」より 著者:江見水蔭
られるよ」 そういう風説が江戸中に拡がった。これは併し冤罪である事は、後世の歴
史家が既に証明している。二代将軍の三女というので、幕府でも優遇したが、旗本の若者....
「スリーピー・ホローの伝説」より 著者:アーヴィングワシントン
いある教会の付近にはよくあらわれるのだ。じっさい、この近傍のもっとも信頼すべき歴
史家たちのなかには、この亡霊についての噂を集めたものがあり、彼らが比較検討したう....
「荘子」より 著者:岡本かの子
紀元前三世紀のころ、支那では
史家が戦国時代と名づけて居る時代のある年の秋、魏の都の郊外|櫟社の附近に一人の壮....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
あるは小学校の教科書にも載ってる。もっとも天文十二年説は疑問で、数年前にも数回歴
史家の間に論争されたが、たといそれ以前に渡ったものがあったにしてもそれよりおよそ....
「磯部の若葉」より 著者:岡本綺堂
として、罪のない藤戸の漁民を惨殺した佐々木盛綱は、忠勇なる鎌倉武士の一人として歴
史家に讃美されている。復讐の同盟に加わることを避けて、先君の追福と陰徳とに余生を....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
くことであろう。〉) 二十三日、晴れ。わが領事館に至り領事に面会す。文豪および
史家たるマコーリー氏の古屋を、カムプデンヒルにたずねたるも、探り得ず。 二十四....
「革命の研究」より 著者:大杉栄
ない。そしてまた、これはことに言っておかなければならないことだが、過去の革命の歴
史家等は、この点についての考えに混雑を来たさせるよう、その全力を尽して来た。 ....