史籍[語句情報] »
史籍
「史籍〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
史籍の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「神社合祀に関する意見」より 著者:南方熊楠
めに、斯学の大家ゴム氏に特に授爵されたり。例せば一箇人に伝記あると均しく、一国に
史籍あり。さて一箇人の幼少の事歴、自分や他人の記憶や控帳に存せざることも、幼少の....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
し証ともなれば、邦家の成立由来するところ一朝夕の事にあらざるを明らむべき不成文の
史籍ともなったのだ。伊豆の三島の神は鰻を使者とし神池の辺で手を拍《う》てば無数の....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
替えて一国一命|免《ゆる》すものなり」と。かく書かせて元の所へ置かせられた(改定
史籍集覧本『丹州三家物語』七三頁)、三国|鼎争《ていそう》の最中や戦国わずかに一....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
なしと聞いたは早二十年ばかりの昔で、今はどうなったか知らぬ。しかるにその後『改定
史籍集覧』二五所収、慶長十八年頃書かれたところといわるる『寒川《さむかわ》入道筆....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
歴史地理の考証については該博精透なる尋究を以て聞えていた。正当なる歴史を標榜する
史籍さえ往々|不穿鑿なる史実を伝えて毫も怪しまない時代であるから、ましてや稗官野....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
て東方海島の住民を呼んだ名称で、それが統一なき数多の小国に分れていたので、支那の
史籍で始めて我が国のことを記した漢書の地理志には、「楽浪海中に倭人あり。分かれて....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
勅撰の国史として、養老四年に至って完成奏上したものである。かくの如き性質の勅撰の
史籍において、眼前に在る、しかも官の大寺たる法隆寺の火災の事を記するに当り、仮り....
「随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
直勝博士に依嘱してあつめたという厖大な楠氏史料は戦災で焼いてしまったがと、若干の
史籍を私に贈られた。私の手もとにないのだけをありがたくいただいておく。太郎氏は以....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
ぼくの寡見では、原田種直の名は大森博士の「源平両氏の分布と相互の向背」や二、三の
史籍に、その名を見るくらいで、多くを語るなんの典拠も持っていなかったが、読者の原....
「学究生活五十年」より 著者:津田左右吉
とるようになったといってよい。それと共に、日本の歴史を知るについてシナと朝鮮との
史籍を用いねばならぬことを、前々よりも痛切に感じたのである。後に記紀のことを考え....
「神代史の研究法」より 著者:津田左右吉
今日に伝わっている我が国の最古の
史籍たる『古事記』と『日本書紀』との巻頭にはいわゆる神代の巻という部分がある。『....
「日本歴史の研究に於ける科学的態度」より 著者:津田左右吉
成せられた情勢やその時代やそのころの文化の状態やの或る程度に知られるのは、シナの
史籍があり、それが史料として用い得られるからのことである。 しかし史料は史料で....
「「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
ては内地にも居たことがあったのではないかと疑っている。粛慎の石器使用の事は支那の
史籍に著名の事ではあるが、自分は日本の石器時代の遺蹟中に、或いは彼らの遺したもの....