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史蹟
「史蹟〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
史蹟の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「単独行」より 著者:加藤文太郎
二尺の山だが、偃松があるのと眺望の雄大なのに驚いた。 船上山――さすがは有名な
史蹟だ。秩父宮様の行啓の碑があった。 白山――白山を縦走してやろうと思って尾添....
「近時政論考」より 著者:陸羯南
時の思想を誘掖するにはいまだ充分なりというべからず。何となればこの論派はほとんど
史蹟および現実を離れて単に理想上にその根拠を有すればなり。彼ただちに自由を主張す....
「不尽の高根」より 著者:小島烏水
宮口の人たちに、栄える新道はますます守り育てて盛んにすべきであるが、古道の村山を
史蹟としても、天然記念物としても、純美なる森林風景としても、保存の方法を講ぜられ....
「大阪を歩く」より 著者:直木三十五
石の鳥居の左側に、高橋父子の墓地案内の石が建っているが――大阪人は、少しこうした
史蹟に冷淡すぎるようである。
史蹟に熱心だったって、金は儲からないが、大阪城の天守....
「社会時評」より 著者:戸坂潤
のある物資を盗んだという原始的な「泥棒」とも別である。それに盗んだ物品そのものが
史蹟にぞくするもので、一般社会にとっても直接な不可欠なものではない。 社会は変....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ものですから、それと言ってバラバラと追いかけます。 それからの一行は、写生帖も
史蹟の話もなくてその怪しい者を捕えるべく、前後左右から遠網にかけるようにして、峠....
「ドナウ源流行」より 著者:斎藤茂吉
ろいろの国が起るに及んで、ドナウは必ずしもその境界ではなくなった。そういう興亡の
史蹟を此の書物が書いて居る。僕は伽藍の頂にいて、その輪廓をおもい浮べていた。 ....
「四国遍路日記」より 著者:種田山頭火
だ、奈半利町行乞、町に活気がないだけそれだけ功徳も少なかった、土佐日記那波の泊の
史蹟である。 奈半利川を渡ると田野町、浜口雄幸先生の邸宅があると標札が出ている、....
「学校教育における図書館の利用」より 著者:佐野友三郎
内旅行の順序日程を定め得る者果して幾何ぞ。国史上の大人物はこれを暗記せるも郷土の
史蹟、人物、もしくは直観資料の知識を欠く者あるいは多々これあらん。これが欠陥救済....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
兼光の逆櫓の松も栄え、壺阪では先年|沢市の何百年|遠忌だかを営んだ。『八犬伝』の
史蹟も石に勒して建てられる時があるかも知れない。(市川附近や安房の富山には『八犬....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
なって、その題材について相談をはじめた。わたしは一昨年会津へ行って、かの白虎隊の
史蹟を多少しらべたことがあるので、それはどうだろうと言うと、川上は結構ですと直ぐ....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
震火で灰となった記念物の中に
史蹟というのは仰山だが、焼けてしまって惜まれる小さな遺跡や建物がある。淡島寒月の....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
昨年十一月に始めて出羽の踏査に着手したその続きを、この春の休暇中にやってみたいと思っている折から、山形県
史蹟名勝天然記念物調査委員会の開会式が行われるので、やって来ぬかと理事官の有吉君....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
タ村として認められていた。また福井県史の編纂に従事せられている牧野信之助君、同県
史蹟調査委員たる上田三平君の報告によると、このほかにも若狭には、文永二年の若狭大....
「融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
伍者が、多数にできたに相違ありません。私は昨年岩手県へ参りまして、盛岡市の郊外の
史蹟を視察いたしましたが、道の辻や、寺の門前などに、「餓死供養塔」だの、あるいは....