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右京
「右京〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
右京の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「偸盗」より 著者:芥川竜之介
に、色も形もおぼろげな、ただ広い平面を、ただ、際限もなく広げている。それがまた、
右京左京《うきょうさきょう》の区別なく、どこも森閑と音を絶って、たまに耳にはいる....
「業平文治漂流奇談」より 著者:三遊亭円朝
します其の訳は、文治が人殺しの科《とが》で斬罪《ざんざい》になりまする処を、松平
右京《まつだいらうきょう》様が御老中《ごろうじゅう》の時分、其の御家来|藤原喜代....
「魔法修行者」より 著者:幸田露伴
二十歳、三十歳、四十近くなった。舟岡記にその有様を記してある。曰く、「京管領細川
右京太夫政元は四十歳の比まで女人禁制にて、魔法飯綱の法愛宕の法を行ひ、さながら出....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
宗が板屋峠を踰《こ》えて大森に向い、相馬|弾正大弼《だんじょうたいひつ》と畠山|
右京亮義継《うきょうのすけしつぐ》、大内備前定綱との同盟軍を敵に取って兵を出した....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ょうきんとも》という若い公卿《くげ》さんが斬られた。 少将がその日の夕方、吉村
右京、金輪勇という二人の家来をつれ、提灯持《ちょうちんもち》を先に立てて、御所を....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
境があって、新町から倉ヶ野へ一里半。倉ヶ野から高崎へ一里十九丁。 高崎は松平|
右京亮《うきょうのすけ》、八万二千石の城下。それより坂鼻へ一里三十丁。坂鼻から安....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
みつぎ―― 「コノ年、親父ヤ兄ニ云イ立テテ、外宅ヲシテ割下水《わりげすい》天野
右京トイッタ人ノ地面ヲ借リテ、今迄ノ家ヲ引イタガ、ソノ時、居所ニ困ッタカラ、天野....
「死者の書」より 著者:折口信夫
。山と自分とに繋る深い交渉を、又くり返し思い初めていた。 郎女の家は、奈良東城、
右京三条第七坊にある。祖父武智麻呂のここで亡くなって後、父が移り住んでからも、大....
「「平家物語」ぬきほ(言文一致訳)」より 著者:作者不詳
たけれ共なびく景色もなかった内に三位殿の上になってしまったと云う話がきこえたので
右京の大夫の局と云って中宮の御そばに仕えて居た資盛の北の方がそねましい心にでもな....
「後の業平文治」より 著者:三遊亭円朝
外し、只吟味に出ます時分又自分で箝めてまいりますだけの事でございます。こゝに松平
右京殿、御下城の折柄駕籠訴を致した者があります。これは御登城の節よりかお退りを待....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
ている。『阿部一族』の中で、高見権右衛門が討手の総勢を率いて引き上げて来て、松野
右京の邸の書院の庭で主君の光尚に謁して討手の状況を言上する一段のところで、丁度卯....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
従五位下を授け、さらに延暦二年六月に、姓佐伯|沼田連を賜わりしことあり。彼は当時
右京に貫せしも、沼田連の姓を賜わりしことによりて、もと安芸なる渟田の佐伯部なりし....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
五十氏に姓を賜いて宿禰というに当る。 この外にも間人姓のものは少くなく、姓氏録
右京皇別上に、阿閉間人臣というのがあって、伊賀臣の同祖とある。その伊賀臣は孝元天....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
復旧したりしましたが、結局廃滅の運命に終って、餌取の仕事はなくなりました。平安京
右京に餌取小路というのがあるのは、もと主鷹司の餌取のいた所です。あたかも徳川時代....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
の古代の条里制の研究から、ほぼその位置を推定することが出来る。中にも佐比は平安京
右京第二縦大路(西大宮大路の次)なる、佐比大路の名と関係のあるものらしく、その大....