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右大将
「右大将〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
右大将の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「道草」より 著者:夏目漱石
取ろうとすればいくらでも取れるんだから」 「こちとらとは少し頭の寸法が違うんだ。
右大将《うだいしょう》頼朝公《よりともこう》の髑髏《しゃりこうべ》と来ているんだ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
玄関へ米友さんとおっしゃる方がおいでになりました」 「ナニ、米友が来た! 鎌倉の
右大将米友公の御入り! 占《し》めた」 この際、天来の福音に打たれたように、道....
「連環記」より 著者:幸田露伴
ころの無い、至極円満性、普通性の人で、放肆な気味合の強い和泉式部や、神経質過ぎる
右大将道綱の母などとは選を異にしていた。これはずっと後の事であるが、吾が子の挙周....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
半分で切り上げて、言葉せわしく、
「まだ、来ねえかよ、あの野郎は、友様は、鎌倉の
右大将はまだ来ねえかね」
と言いました。そこで、はじめて正体が、すっかり曝露《ば....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
北八氏に於けるが如く、影の形に於けるが如く、相添うて来たところの、いわゆる鎌倉の
右大将米友公を失っている。失ったのは亡くなったのではない。あの男を胆吹山へ取られ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
》も察しているから相談ずくで、新しい人形を一つお前たちに貸してやる、これは鎌倉の
右大将米友公という人形で、形は小さいが出来は丈夫に出来ている、ただいまのお喋り坊....
「源氏物語」より 著者:紫式部
ごけい》の日に供奉《ぐぶ》する大臣は定員のほかに特に宣旨《せんじ》があって源氏の
右大将をも加えられた。物見車で出ようとする人たちは、その日を楽しみに思い晴れがま....
「源氏物語」より 著者:紫式部
侍の不都合を太后に訴えるのであった。まず目撃した事実を述べた。 「この畳紙の字は
右大将の字です。以前にも彼女は大将の誘惑にかかって情人関係が結ばれていたのですが....
「源氏物語」より 著者:紫式部
されたが、そうして帝の御後見をする政治家がいなくなる、中納言が今度大納言になって
右大将を兼任することになったが、この人がもう一段昇進したあとであったなら、親王に....
「源氏物語」より 著者:紫式部
したことはお気の毒に思われて、やはり今までお育てになった宮の御殿でその式をした。
右大将を始め伯父君《おじぎみ》たちが皆りっぱな顕官になっていて勢力のある人たちで....
「源氏物語」より 著者:紫式部
心を惹きそうなことを源氏は言うのであるが、玉鬘はただ恥ずかしくばかり聞いていた。
右大将が高官の典型のようなまじめな風采をしながら、恋の山には孔子も倒れるという諺....
「顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
|家慶《いえよし》公の御|世子《よつぎ》、幼名《ようみょう》政之助さま……いまの
右大将家定公は、本寿院さまのお腹で文政七年四月十四日に江戸城本丸にお生れになった....
「本朝変態葬礼史」より 著者:中山太郎
たが、熊野の那智浦に居た智定房と云う者が補陀洛渡海をした。この智定房とは誰あろう
右大将頼朝の近臣河辺六郎行秀の成れの果てである。頼朝が下野の那須野ヶ原で狩猟《か....
「頼朝の最後」より 著者:田中貢太郎
建久九年十二月、
右大将家には、相模川の橋供養の結縁に臨んだが、その帰途馬から落ちたので、供養の人....
「旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
ておられるのである。またその郷里たる安房国長狭郡東条郷を以て、「天照大神の御厨、
右大将家の立て給いし日本第二のみくりや、今は日本第一なり」などと、かなり強い歴史....