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「右岸〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

右岸の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
勲章を貰う話」より 著者:菊池寛
ウィッチの属していた第五十五師団の第二連隊も、ワルシャワを撤退して、ヴィスワ川の右岸の戦線に就いたのであった。 大きい混乱であった。第二連隊では、副官のダシコ....
号外」より 著者:国木田独歩
る。 第三報、四月二十八日午後三時五分発、同月同日午後九時二十五分着。敵は靉河右岸に沿い九連城以北に工事を継続しつつあり、二十八日も時々砲撃しつつあり、二十六....
生まれいずる悩み」より 著者:有島武郎
札幌に住んでいるころだった。私の借りた家は札幌の町はずれを流れる豊平川という川の右岸にあった。その家は堤の下の一町歩ほどもある大きなりんご園の中に建ててあった。....
単独行」より 著者:加藤文太郎
全く恐縮の次第だった。それから発電所の方へ渡って例の雪崩の出るところを避け、また右岸に返って芦峅に下った。 C 奥穂高・唐沢岳・北穂高 二月二十日 快晴....
姉川合戦」より 著者:菊池寛
はあまり聞かないから、之れは土俗の伝説に過ぎないであろう。野村、三田村附近では、右岸の高さは六七尺以上で、昇降には不便であったらしい。只当時の水深は、三尺位であ....
めでたき風景」より 著者:小出楢重
ている。殊に豊国橋から見ると、その両岸に、まだ錦絵時代の倉と家があり、一本の松が右岸の家の庭から丁度円屋根の右手へ聳え立ち甚だよき構図を作っているのである。とこ....
穂高岳槍ヶ岳縦走記」より 著者:鵜殿正雄
とて、特に案内者一名を傭い、午前の四時、まだ昧いうち、提灯を便りての出発。梓川の右岸に沿い、数丁登って河童橋を渡り、坦道を一里ばかり行くと、徳合の小屋、左に折れ....
一ノ倉沢正面の登攀」より 著者:小川登喜男
いに約三十分ほど行くと、右から小さい沢が落合い、そこから狭い岩床となる。その所を右岸の人の踏んだ跡を通って過ぎると、沢は再び石が累積し幾分広くなって、右岸から急....
層雲峡より大雪山へ」より 著者:大町桂月
て小渓流となれり。塩谷温泉は五里の層雲峡の中央にあり。塩谷温泉までは細径ありて、右岸に通ず。塩谷温泉より上は径なくして、ただ「やまべ」釣りの踏みたる跡、右岸にあ....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
曜)、曇り。暁天、虹影を見る。風ようやく寒く、天まさに雨ふらんとす。一帯の連山を右岸に望む。これ、すでにビクトリア州なり。午後、降雨あり。今夕、船医秋洲氏の好意....
フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
て彼女は歌った。何という情感的な牧歌であったろう。 帰航の時、私たち一行の舟は右岸の白樺林の前に散在するオロチョン人の部落の前に差しかかった。土人たちは幾つか....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
力をマース左岸に進めんとする専習員の案に対し、モルトケは「その必要はない。マース右岸の地区を敵の側背に迫るべきだ」と講評したとの事である。 しかし無力なモルト....
釜沢行」より 著者:木暮理太郎
いもので、どうかすると薄気味わるくさえ感ずるものである。十一時四十五分ナレイ沢の右岸を降りて、子酉川の河原に出で、岩魚釣りの小屋に休んで昼食にする。小屋というて....
秋の鬼怒沼 」より 著者:木暮理太郎
に五、六の峰尖を乱立させているのが武尊山だ。 至仏山の為に一旦遮断された利根川右岸の連嶺は、恰も四郎岳の上で小高の右に破風形をした柄沢山と、大高の左肩に蕎麦粒....
黒部川奥の山旅」より 著者:木暮理太郎
辿る。十一時、左岸に少許の平地を見る。昼食。午後十二時十分出発。十二時四十五分、右岸に頗る多量の残雪あり。一時、猫又谷釜谷追分。釜谷に入る。二時五分、雪渓に達す....