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右近衛
「右近衛〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
右近衛の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ことはござらぬ、朝廷にては五月五日の騎射、駒牽《こまひき》、左近衛《さこんえ》、
右近衛《うこんえ》の荒手結、真手結、帯刀騎射《たてわききしゃ》というような儀式、....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
が中散太夫、下が朝議太夫、従五品上が朝請太夫、下が朝散太夫ナリである。 我国|
右近衛将監《うこんえしょうげん》を右近太夫、公卿の子でまだ官位のないのを、いずれ....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
という二度目の名は文明元年すなわち彼の十五歳になるまで続いたが、元服と同時に官は
右近衛権少将に進み、名は実隆と改まり、いくばくもなくして正五位下に叙せられ、翌年....
「源氏物語」より 著者:紫式部
命婦が御報告した故人の家のことをなお帝は想像あそばしながら起きておいでになった。
右近衛府《うこんえふ》の士官が宿直者の名を披露《ひろう》するのをもってすれば午前....
「源氏物語」より 著者:紫式部
かの晴れの行幸などばかりに許されることであったが、今日は蔵人《くろうど》を兼ねた
右近衛《うこんえ》の尉が源氏に従っていた。そのほかの随身も顔姿ともによい者ばかり....
「源氏物語」より 著者:紫式部
院の御禊《みそぎ》の日に大将の仮の随身になって従って出た蔵人《くろうど》を兼ねた
右近衛将曹《うこんえしょうそう》は、当然今年は上がるはずの位階も進められず、蔵人....
「源氏物語」より 著者:紫式部
守《きいのかみ》といった男も今はわずかな河内守《かわちのかみ》であった。その弟の
右近衛丞《うこんえのじょう》で解職されて、須磨へ源氏について行った男が特別に取り....
「源氏物語」より 著者:紫式部
ばかって帰って行こうとして、前の庭の篝が少し消えかかっているのを、ついて来ていた
右近衛の丞に命じてさらに燃やさせた。涼しい流れの所におもしろい形で広がった檀の木....
「源氏物語」より 著者:紫式部
女房たちは例のように、より誇張した言葉でほめたてていた。 大将はこの中将のいる
右近衛のほうの長官であったから、始終この人を呼んで玉鬘との縁組みについて熟談して....
「源氏物語」より 著者:紫式部
になろうとするのであった。源氏の二種の香はこの時になってはじめて取り寄せられた。
右近衛府の溝川のあたりにうずめるということに代えて、西の渡殿の下から流れて出る園....
「源氏物語」より 著者:紫式部
あって、初めに馬場殿へ入御になった。左馬寮、右馬寮の馬が前庭に並べられ、左近衛、
右近衛の武官がそれに添って列立した形は五月の節会の作法によく似ていた。午後二時に....
「源氏物語」より 著者:紫式部
秘めてきた苦しい思いだけでもおささやきしたいと思った大将は、従者を呼ぶと、もとは
右近衛府の将監であって、五位になった男が出て来た。大将は近く招いて、 「こちらへ....
「源氏物語」より 著者:紫式部
の式も院の御所であげられた。十四の歳であった。その二月に侍従になって、秋にはもう
右近衛の中将に昇進した。推薦権をお持ちになる位階の陞叙もこの人へお加えになって、....
「酒渇記」より 著者:佐藤垢石
い。 けれど、ご招きに応じた者は甚だ少なかった。参議藤原仲平、兵部大輔源嗣敬、
右近衛少将藤原兼茂、藤原俊蔭、出羽守藤原経邦、兵部少輔良峰、遠視左兵衛佐藤原伊衡....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
同書長和二年正月四日条に、 勤|者。 とある。『小右記』は長和の当時大納言兼
右近衛大将であった藤原実季の日記で、その長和二年は前引『高野参詣記』の永承よりも....