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「司馬〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

司馬の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
死の快走船」より 著者:大阪圭吉
しないでしょう。が、ローリングは、多少にかかわらず必ずいたします。ですから支那の司馬温公みたいに、池に舟を浮べて象の重さを計るような具合には行きませんぜ。貴方の....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
た。その瓢にもひと筋の矢が透っていた。 黄衣婦人 唐の柳宗元先生が永州の司馬に左遷される途中、荊門を通過して駅舎に宿ると、その夜の夢に黄衣の一婦人があら....
陸判」より 著者:田中貢太郎
ったが、一行の文字を鐫ってあった。それは胆欲方というのであった。 緯は後、官が司馬となって五人の小児を生んだ。それは沈、潜、※、渾、深の五人であった。ある夜、....
傾城買虎之巻」より 著者:直木三十五
、その外の歌はどういうのか、主人公の事が少しも判らない。 とにかく、文化三年、司馬芝叟《しばしそう》が「新吉原|瀬川復讐《せがわのあだうち》」という浄瑠璃をか....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
てから見ると其の一人は石に化していたというのである。 怪比丘尼 東晋の大司馬|桓温は威勢|赫々たるものであったが、その晩年に一人の比丘尼が遠方からたずね....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
び去ったが、そのあとには血のしずくが流れていた。それをどこまでも追ってゆくと、大司馬の役を勤める李氏の邸に入り、台所の竈の下へ行って消えたように思われたので、鄂....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
った事もあった。その綱とあるのは朱子の通鑑綱目《つがんこうもく》で、鑑とあるのは司馬温公の通鑑である。この二書の要領を抜いて、批評を加えたものだから、綱鑑補の名....
人の言葉――自分の言葉」より 著者:寺田寅彦
。法手本とするところは。すなわちその物なりと心得たる者も無きにもあらず。……」(司馬江漢、『春波楼筆記』) 科学界にも京人と奥州人がある。ロマンチシズムとクラ....
断片(Ⅱ)」より 著者:寺田寅彦
する事のいかに困難であるかという事実の一例にはなると思う。 六司馬江漢の随筆というのを古本屋の店頭で見つけたので、買って来て読んでみた。こうい....
八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
刀に声あり 圏套姦婦の計を逃れ難し 拘囚未だ侠夫の名を損ぜず 対牛楼上無状を嗟す司馬浜前に不平を洩らす 豈|翔だ路傍|狗鼠を誅するのみならん 他年東海長鯨を掣す....
二葉亭四迷」より 著者:内田魯庵
遊戯分子というは西鶴や其蹟、三馬や京伝の文学ばかりを指すのではない、支那の屈原や司馬長卿、降って六朝は本より唐宋以下の内容の空虚な、貧弱な、美くしい文字ばかりを....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
盛の時代に出で、浮絵の名所絵に写生の技を熟練せしめたる後《のち》、寛政八年頃より司馬江漢《しばこうかん》につきて西洋|油画《あぶらえ》の画風を研究し、これに自家....
フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
、小網町の鴻の巣で賞美した金粉酒のちらちら、植物園の茴香の花、大蒜の花、銅版画は司馬江漢の水道橋の新緑、その紅と金、小林清親の横浜何番館、そうして私たちの「パン....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
引いて内裏に入れたとあるのが、僧侶としての法師の語の初見である。次に崇峻天皇三年司馬|達等の子多須那が出家して、徳斉法師といったとある。推古天皇朝の留学僧|新漢....
本所両国」より 著者:芥川竜之介
門を出ながら、昔は本所の猿江にあった僕の家の菩提寺を思い出した。この寺には何でも司馬江漢や小林平八郎の墓の外に名高い浦里時次郎の比翼塚も建っていたものである。僕....