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吉井勇
「吉井勇〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
吉井勇の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「兄たち」より 著者:太宰治
ようですが、この兄は、谷崎潤一郎の初期からの愛読者でありました。それから、また、
吉井勇の人柄を、とても好いていました。次兄は、酒にも強く、親分気質の豪快な心を持....
「「いき」の構造」より 著者:九鬼周造
普通である。西鶴は頬の色の「薄花桜」であることを重要視しているが、「いき」な頬は
吉井勇《よしいいさむ》が「うつくしき女なれども小夜子《さよこ》はも凄艶《せいえん....
「ふもれすく」より 著者:辻潤
かけたものだ。 馬楽と、焉馬と、小せんの三人会があったのだ。この三人はその後、
吉井勇氏によってはなはだ有名になったが、その中のエン馬のみが存在して、後の二人は....
「社会時評」より 著者:戸坂潤
なのだが、今度の審議の内容はその量から云っても質から云っても、ずっと進歩している
吉井勇伯夫人徳子(『中央公論』一月号に於ける直木三十五の紹介によると通称「おどん....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
には、木下杢太郎氏の「南蛮寺門前」を中沢弘光氏の後景、山田耕筰氏の作曲でやった。
吉井勇氏の「句楽の死」は平岡権八郎氏に後を描いて頂いたりした。 あたしはまっし....
「『井伏鱒二選集』後記」より 著者:太宰治
持参し、そうして夏の夜、何やら文学論みたいなものをたたかわしていた。 久保万、
吉井勇、菊池寛、里見、谷崎、芥川、みな新進作家のようであった。私はそれこそ一村童....
「放浪記(初出)」より 著者:林芙美子
の前の家へ行く。叔母さんつめたし。 近松氏から郵便来ている。出る時に、十二社の
吉井勇さんのところに女中がいるから、ひょっとしたら、あんたを世話してあげると云う....
「九条武子」より 著者:長谷川時雨
お米ッつぶ拾っているようなもので、駄目《だめ》だ。」 と断わったことがあったが、
吉井勇《よしいいさむ》さんが編纂《へんさん》した、武子さんの遺稿和歌集『白孔雀《....
「ヒウザン会とパンの会」より 著者:高村光太郎
石井柏亭等同人の美術雑誌「方寸」の連中を中心とし北原白秋、木下杢太郎、長田秀雄、
吉井勇、それから私など集ってはよく飲んだものである。 別に会の綱領などと言うも....
「植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
では一向それを利用していない。 昭和十九年二月に、東京の桜井書店で発行になった
吉井勇《よしいいさむ》氏の歌集『旅塵』に、佐渡の外海府での歌の中に「寂しやと海の....
「随筆 寄席囃子」より 著者:正岡容
はないか。岡鬼太郎氏は早くに馬楽の才に傾倒していたよしであるが、もうこの時代には
吉井勇先生が、久保田万太郎、岡村|柿紅《しこう》両氏が馬楽礼讃の、短歌を、随筆を....
「艶色落語講談鑑賞」より 著者:正岡容
いた一竜斎貞丈と、今は亡き文芸講談のE師についていろいろ談《かた》り合ったが、師
吉井勇と飲む時にも、きっと一度はこのE師の思い出話が出ないことはない。 鏡花の....
「随筆 寄席風俗」より 著者:正岡容
)の専売だったという。――すると、談志の創作なのか、それ以前にもあったのか、師、
吉井勇の話によると、鼻の圓遊もやったそうだ。――今では、東西にたった二人、初代橘....
「夜長ノート」より 著者:種田山頭火
ークルに分つことが出来る。 スバル、白樺、三田文学、劇と詩、朱欒。永井荷風氏、
吉井勇氏、北原白秋氏、秋田雨雀氏、上田敏氏、小山内薫氏、鈴木三重吉氏。…… 早....
「フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
う情痴であろうと果敢なくもなった。 ああ、あの頃だ。私は若かった。木下杢太郎も
吉井勇も長田秀雄も若かった。ゲエテの門番の孫で、伊上凡骨の弟子の猿づらの彫刻家|....