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「吉川〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

吉川の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
小作人への告別」より 著者:有島武郎
から、諸君もどうすることかといろいろ考えておられたろうし、また先ごろは農場監督の吉川氏から、氏としての考えを述べられたはずだから、私の処分についての、だいたいの....
大島が出来る話」より 著者:菊池寛
《あいさつ》が済んでから、彼は同僚となるべき人々に、一々紹介された。 「岡村君に吉川君。」と、課長は最初に、二人の青年を紹介した。岡村と云われた青年は、中肉の身....
仇討禁止令」より 著者:菊池寛
るのである。 同憂の士は、期せずして小泉の家に集った。山田甚之助、久保三之丞、吉川隼人、幸田八五郎、その他みな二十から三十までの若者であった。多くは軽輩の士で....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
ェーのように遊び半分にはいるという店は皆無で、まじめに飲むか食うかのほかはない。吉川のおますさんという娘が評判で、それが幾らか若い客を呼んだという位のことで、他....
単独行」より 著者:加藤文太郎
メートル附近は地図とだいぶ違っている。それから東山の頂上を極め、登り尾根を下って吉川へ出たが実に愉快なコースだった。翌日若杉峠へ向って行ったが、雪が降っていたた....
厳島合戦」より 著者:菊池寛
辛辣である。厳島合戦の時、恰度五十二歳の分別盛りである。長子隆元三十二歳、次子|吉川元春二十三歳、三子隆景二十二歳。吉川元春は、時人梅雪と称した。 熊谷伊豆守....
碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
、牛峰には、立花宗茂、高橋|統増、筑紫|広門等四千の勢。開城には、小早川|隆景、吉川広家、毛利元康以下二万の勢。其他占領した各処には、部将それぞれ守備を厳重にし....
大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
大阪城の天守五重説は、徳川時代の天守が五重であったから起った説で、小早川|隆景と吉川元長が、秀吉の案内で天守に上った時の感想には、「大天守は八重にて候、|不候」....
獄中消息」より 著者:大杉栄
本文学史は守田の本を指したのだが、外の本が来ているようだ。これは至急送るように。吉川夫人のことは都合よく行ってよかった。子供のあるのは少しうるさくもあろうが、ま....
探偵夜話」より 著者:岡本綺堂
の夏の事でございました。わたくしは東京から五時間ばかりの汽車旅行をして、お友達の吉川三津子さんをおたずね申したのでございます。勿論これは仮りの名と御承知ください....
山越しの阿弥陀像の画因」より 著者:折口信夫
宗教画に限って、何となくひそかに、愉楽しているような領域があるのである。近くは、吉川霊華を見ると、あの人の閲歴に不似合いだと思われるほど濃い人間の官能が、むっと....
明治の文学の開拓者」より 著者:内田魯庵
『牡丹燈籠』は『書生気質』の終結した時より較やおくれて南伝馬町の稗史出版社(今の吉川弘文館の横町)から若林※蔵氏の速記したのを出版したので、講談速記物の一番初め....
絵筆に描き残す亡びゆく美しさ」より 著者:上村松園
袖が長くて帯がそれよりもちょっとばかり短い目の方が概して形がいいようです。この間吉川さんとこで写したのは、松本お貞さんのもってる衣装を着せたのでしたが、その古典....
青い風呂敷包」より 著者:大倉燁子
とも、この男は――、ゴリラのニックネームで通っているツバメ・タクシーの運転手で、吉川さんッて人ですわ」 ツバメ・タクシーの主人は直ちに召喚された、彼は一目見る....
新古細句銀座通」より 著者:岸田劉生
か、ずっと以前はなかった様だ、しかし二十年位は経つだろう。銀座の牛屋では一丁目に吉川というのがあって、今は新橋ステーションわきの有楽軒?というレストランをしてい....