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「同月〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

同月の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
幽霊塔」より 著者:黒岩涙香
、次の項に「千八百九十六年七月二十五日大場連斎氏の紹介、権田時介氏連れ来る。同年同月十一日に故あって獄を出たる者なりと云う」との文字がある。 輪田お夏とは幽霊....
号外」より 著者:国木田独歩
なおさらにうれしい、」と朗読をはじめる。 第三報、四月二十八日午後三時五分発、同月同日午後九時二十五分着。敵は靉河右岸に沿い九連城以北に工事を継続しつつあり、....
乱世」より 著者:菊池寛
女 三輪権右衛門 大関五兵衛 服部|石見 松平|帯刀 成瀬|隼人正様 次いで、同月十八日、官軍の先鋒が鈴鹿を越えたという報をきくと、同文の嘆願書を隣藩亀山藩へ....
賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
子伊賀守勝豊以下を率いて、越中魚津に在陣中であった。本能寺の変が報ぜられたのは、同月四日の夜に入ってからであるが、陣中の周章は一方でなく、戦半ばにして、勝家は越....
支倉事件」より 著者:甲賀三郎
だ。即ち支倉が貞子を連れ出したと云う日は大正二年九月二十六日で、電車の開通は同年同月十八日! 僅に八日以前に開通しているのだ。之が皮肉でなくてなんであろうか。 ....
寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
盆興行であるので、十五と十六の両日は藪入りの観客に牡丹燈籠を画いた団扇を配った。同月二十三日の川開きには、牡丹燈籠二千個を大川に流した。こうした宣伝が効を奏して....
犬神娘」より 著者:国枝史郎
地をご出立なさいましたのは、同じ年の十一月一日で、薩摩のお城下に着きましたのは、同月十日でございました。 するとどうでしょう薩摩藩の情勢が、吉之助様たちのご努....
大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
大政奉還の旨を朝廷へ対して奏聞した。一日置いた十六日朝廷これを嘉納した。つづいて同月二十四日、慶喜は更に将軍職をも、辞退したき旨奏聞したが、これは保留ということ....
安吾人生案内」より 著者:坂口安吾
した。それが夢にも忘れることの出来なかった夫だったではありませんか。記事によると同月十四日銀座西八丁目の濠ばたで浮浪者がたき火を囲んでいると飄然と現われた廿五六....
拷問の話」より 著者:岡本綺堂
ちなかった。第三回は九月十六日で、かれは笞打のほかに石六枚を抱かされた。第四回は同月十九日で、笞打ほかに石七枚を抱かされた。拷問の回数のすすむにしたがって、石の....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
』これを記して曰く、 此事先日有悲々々。 と。いわゆるその先日の議定なるものは同月六日の条に、 関東賊徒(頼朝)猶未也。件国素大略虜掠。然者拝任何事之有哉。....
法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
事となし、別に「関野・平子二氏の法隆寺非再建論を駁す」と題する反駁文を起稿して、同月の史学雑誌上に掲げてもらうことにした。しかしこれは単に両君の論文を読んだだけ....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
修行の道場であると観ずれば別段苦しむにも及ばないと諦め、五月十九日に門司港を経て同月二十日に神戸に着きました。汽船の上から桟橋の上を眺めますと、出立の時に涙をも....
編輯雑感」より 著者:喜田貞吉
多大の反響があって、諸方から注意と奨励との辞を賜わることが多かった。 たまたま同月帰京の際、内務省で細民部落改善協議会が開かれて、添田地方局長の依頼によって、....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
てあるのを見れば、いずれ唱門仲間と解せられる。右の城普請のことについては、さらに同月十日条に、 之了。則徳丸ニ申付云云。 とある。彼らは平常の雑役や土木工事の....