名和[語句情報] » 名和

「名和〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

名和の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
四条畷の戦」より 著者:菊池寛
年六月五日、後醍醐天皇は王政復古の偉業成って、めでたく京都に還幸された。楠正成、名和|長年以下の凱旋諸将を従えられ、『増鏡』に依ると、其の行列は二条富小路の内裏....
火の扉」より 著者:岸田国士
兵器の研究を専門とする技術将校に仕上げる期間だつた。うん、そう/\、その当時だ、名和さんがお前という女をおれに押しつけたのは……」 康子のまゆがぴり/\ッと動....
平泉紀行」より 著者:村山俊太郎
黄金花咲く陸奥の文化は有耶無耶の関を越えてわが出羽に来たのである。われら一行十四名和田校長を部長とした旅行隊は風俗展そのもののような服装をそれぞれ整えると五月三....
私本太平記」より 著者:吉川英治
も知られたら、一大事でしょうに」 「いえ。それも今は、心の知れている成田小三郎と名和悪四郎が柵の当番にござりますゆえ、夕の交代時までは、まず懸念はありません。…....
私本太平記」より 著者:吉川英治
た。 高氏は彼とのはなしで多くのものを習びとった。 伯耆の船上山の御座には、名和長年なるものが守備に当っていること。そして後醍醐には隠岐脱出いらい、いよいよ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
る。朝山太郎は五百騎で後陣にしたがい、金持大和守は、錦の旗を捧持し、また、伯耆守名和長年は、 帯剣の役 といって、主上のすぐそばに騎馬を打たせ、 「途上、万....
私本太平記」より 著者:吉川英治
しさ。殿上いずこの間でも廊でも紛々たる騒めきである。 公卿ばかりでない。新田、名和、結城などの武臣も、ひっきりなしの参内だった。――わけて千種忠顕は早々に出仕....
私本太平記」より 著者:吉川英治
まれたのも、決して偶然なことではない。 さきに、みかどが、隠岐ノ島を脱出して、名和長年の伯耆の船上に拠り、御旗上げをされたさいにも、 「まず第一に、九州では菊....
私本太平記」より 著者:吉川英治
額田、烏山、羽川、里見、岩松、武田などの宗徒の一族旗本からまた――在京の禁門軍、名和長年らの諸大名の兵力までをあわせ、およそ五万をこえるであろう軍勢がお道すじを....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、弘徽殿の西台といわれた佳人がある。 後醍醐天皇が、隠岐から凱旋されたさいは、名和長年をはじめ、勲功の臣には、かつてそれぞれ恩賞が下されたが、出雲の守護、塩冶....
随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
の中央進出までをほぼ収めたい。 だが、さしあたっては、隠岐脱出の帝をたすけて、名和長年が船上山に拠る経緯をつづってゆく。 幸田露伴氏にも“戯曲名和長年”の一....