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名和長年
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名和長年の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「私本太平記」より 著者:吉川英治
付けていたのである。 二里余りを来て、野中で一ト息入れ、それからの山坂道では、
名和長年が自身、後醍醐の大きなおからだを、わが背に負ってうんうんいいながら登って....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
た。 高氏は彼とのはなしで多くのものを習びとった。 伯耆の船上山の御座には、
名和長年なるものが守備に当っていること。そして後醍醐には隠岐脱出いらい、いよいよ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
る。朝山太郎は五百騎で後陣にしたがい、金持大和守は、錦の旗を捧持し、また、伯耆守
名和長年は、 帯剣の役 といって、主上のすぐそばに騎馬を打たせ、 「途上、万....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
まれたのも、決して偶然なことではない。 さきに、みかどが、隠岐ノ島を脱出して、
名和長年の伯耆の船上に拠り、御旗上げをされたさいにも、 「まず第一に、九州では菊....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
額田、烏山、羽川、里見、岩松、武田などの宗徒の一族旗本からまた――在京の禁門軍、
名和長年らの諸大名の兵力までをあわせ、およそ五万をこえるであろう軍勢がお道すじを....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
、弘徽殿の西台といわれた佳人がある。 後醍醐天皇が、隠岐から凱旋されたさいは、
名和長年をはじめ、勲功の臣には、かつてそれぞれ恩賞が下されたが、出雲の守護、塩冶....
「随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
の中央進出までをほぼ収めたい。 だが、さしあたっては、隠岐脱出の帝をたすけて、
名和長年が船上山に拠る経緯をつづってゆく。 幸田露伴氏にも“戯曲
名和長年”の一....