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后の宮
「后の宮〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
后の宮の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「明治美人伝」より 著者:長谷川時雨
でおわしまし、国民にはめでたき国の宝と、思いあげる御方であらせられた。 この、
后の宮の御側には、平安朝の後宮《こうきゅう》にもおとらぬ才媛《さいえん》が多く集....
「源氏物語」より 著者:紫式部
方のことを、帝のおそばに奉仕している典侍《ないしのすけ》は先帝の宮廷にいた人で、
后の宮へも親しく出入りしていて、内親王の御幼少時代をも知り、現在でもほのかにお顔....
「源氏物語」より 著者:紫式部
て重くお煩《わずら》いになることになった。御謹慎的な精進を宮中でもあそばすし、太
后の宮でもしておいでになった。また太政大臣が突然|亡《な》くなった。もう高齢であ....
「源氏物語」より 著者:紫式部
会した。紫夫人も同じ所にいて几帳だけを隔てて玉鬘と話した。踏歌の組は朱雀院で皇太
后の宮のほうへ行っても一回舞って来たのであったから、時間がおそくなり、夜も明けて....
「源氏物語」より 著者:紫式部
た。質素に質素にとして目だつことはおやめになったのであるが、宮中、東宮、朱雀院、
后の宮、このかたがたとの関係が深くて、自然にはなやかさの作られる六条院は、こんな....
「源氏物語」より 著者:紫式部
おさせになった。音楽舞曲のほうのことは左大将が好意で世話をした。宮中、東宮、院の
后の宮、中宮をはじめとして、法事へ諸家からの誦経の寄進、捧げ物なども大がかりなも....
「源氏物語」より 著者:紫式部
宮の若君は院が御寄託あそばされたために、冷泉院の陛下がことにお愛しになった。院の
后の宮も皇子などをお持ちにならずお心細く思召したのであったから、この人をお世話あ....
「源氏物語」より 著者:紫式部
ほうへ行って話などをした。新女御は夜が更けてからお宿直に上がって行ったのである。
后の宮も女御たちも、もう皆長く侍しておられる人たちばかりで、若い人といってはない....
「源氏物語」より 著者:紫式部
臣の息子の右大弁、侍従宰相、権中将、蔵人兵衛佐などは初めからお随きしていた。帝も
后の宮もすぐれてお愛しになる宮であったから、世間の尊敬することも大きかった。まし....
「源氏物語」より 著者:紫式部
、中宮へ兵部卿の宮との縁組みの実現されるように訴えることがたびたびになったため、
后の宮はお困りになり、宮へ、 「気の毒なように長くそれを望んで大臣は待ち暮らして....
「源氏物語」より 著者:紫式部
女房に姫宮のほうへ持たせておあげになり、御自身もあちらへおいでになった。 薫は
后の宮のお近くへ寄って行き、御八講の尊かったことを言い、六条院のことも少しお話し....
「朱絃舎浜子」より 著者:長谷川時雨
あることも知った。 「勧進帳」その他が、明治天皇陛下、皇后宮《あきのみや》、皇太
后の宮と、天覧につづき台覧《たいらん》になったことは、劇界ばかりではない、諸芸の....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
女房が後宮にも必要であった。皇后や中宮やのおそばをつとめる身分高い女房は、時には
后の宮の妹君がつとめられたり、公卿の娘がつとめたりする。その中で下級の殿上人の娘....