向背[語句情報] » 向背

「向背〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

向背の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
或日の大石内蔵助」より 著者:芥川竜之介
ていた。が、彼はそれらの不忠の侍をも、憐みこそすれ、憎いとは思っていない。人情の向背《こうはい》も、世故《せこ》の転変も、つぶさに味って来た彼の眼《まなこ》から....
幽霊塔」より 著者:黒岩涙香
云わず、顔を傍向《そむ》けて徒らに目を白黒した。 斯様な時に女ほど早く人の心の向背《こうはい》を見て取り、女ほど深く不興を感ずる者はない、秀子は忽ち余の心変り....
仇討禁止令」より 著者:菊池寛
動を起すというようなことはできなかった。 が、せめてこうした大切な時に、一藩の向背だけは誤らせたくないという憂国の志は、持っていた。それが、今日の城中の会議で....
田原坂合戦」より 著者:菊池寛
達は、各々数百名の党を為して之に応じて、熊本に来て合した。熊本の城下に於てさえ、向背の議論が生ずる有様で、ついに池辺吉十郎等千余人、薩軍に馳せ参ずることになった....
小田原陣」より 著者:菊池寛
唯関東の北条氏あるだけだ。尤も奥羽地方にも其の経略の手は延びないけれど、北条氏の向背が一度決すれば、他は問題ではない。箱根山を千成|瓢箪の馬印が越せば、総て解決....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
府においても悔いる心ができて、これからは天朝を尊び夷狄を憎み、国家の安危と人心の向背にも注意せらるるであろうとの一念から、井伊大老を目がけたものはいずれも身命を....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
を願いたいと。同時に、薩摩藩の大久保市蔵からも幕府への建言があって、これは人心の向背にもかかわり、莫大な後難もこの一挙にある、公使らの意見にのみ動かされぬよう至....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
ふうに、新政府が地方人民を頼むことの深かったのも、一つは新政府に対する沿道諸藩が向背のほども測りがたかったからで。最初、伏見鳥羽の戦いが会津方の敗退に終わった時....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
んで来た時の方に思いを馳せた。当時は新政府の信用もまだ一般に薄かった。沿道諸藩の向背のほども測りがたかった。何よりもまず人民の厚い信頼に待たねばならないとして、....
愛と認識との出発」より 著者:倉田百三
ればならない。他の何者かに依属して初めて充足する生活であるならば、絶えず他の者の向背によって動揺しなければならない。他の者の意嚮を顧眄しなければならない。それは....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
だ。確かに確かに関白と北条とを見積ってから何様《どう》とも決めようという料簡だ、向背の決着に遅々としたとて仕方は無いのだ。 そこで政宗が北条氏の様子をも上方勢....
最近日本の科学論」より 著者:戸坂潤
今日、日本文化的時局性に於て溌剌たる現象を呈している科学論一般は、唯物論に対する向背如何に拘らず、実は唯物論的な科学論議をめぐって現われていると云っても云い過ぎ....
レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
、「貴顕の愛顧を求むるになれ枝より枝へと飛び移る小鳥のごとくに、悲運より幸運へと向背するになれたる者どもにとりては、逆境にある君主に対して不敵なる態度を取るはい....
夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
主張の風を受けてますます波瀾をあげているが、多数の人々はその双方の思想を識別して向背を決するだけの文化を有していない。少数の当事者は私利我慾を恣にしようとして盲....
建国の事情と万世一系の思想」より 著者:津田左右吉
府が国政の実権を握るようになったのは、そうしてまたその幕府の主宰者が多数の武士の向背によって興りまた亡びるようになると共に、その武士によって封建制度が次第に形づ....