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呉清源
「呉清源〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
呉清源の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「庭」より 著者:太宰治
郎らしい。それから、支那《しな》のエッセイストたちの作品を愛読している。あすは、
呉清源《ごせいげん》が、この家へ兄を訪ねてやって来るという。碁《ご》の話ではなく....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
六枚 “エホン”の「そら とぶ こうきち」の七枚 計百二十四枚。 ◯双葉山、
呉清源のついている璽光様、金沢にてあげられる。 ◯佑さん病気なおりて本日より出社....
「今日の日本の文化問題」より 著者:宮本百合子
を中心とする璽宇教に、もっとも理性的な遊戯とされている「碁」の天才的チャムピオン
呉清源が熱心な信者の一人になっていることも世人の注目をひいたし、日本の理智的な角....
「双葉山を手玉にとった“じこう様”について」より 著者:宮本百合子
邪教の話はいままで沢山あったけれど、この璽光教の話は非常に面白いと思いました。碁の名人、力よりも技術の相撲とりといわれた
呉清源、双葉山が、そろってあやつられていたということは、この二人が日本のふるい世....
「文学以前」より 著者:豊島与志雄
の楽しみは単に獲物を得るだけの楽しみではないと、真の釣師は云う。 K
呉清源の随筆集「莫愁」はたのしい書であるが、その中に、私が愛誦する歌が紹介されて....
「ヤミ論語」より 著者:坂口安吾
どとは滑稽奇怪というほかはない。家名が意味を失った時代ではないか。 実力第一の
呉清源をはぶいて、手合を争ったところで仕方がない。呉を加えて名人戦をやるべし。名....
「太宰治情死考」より 著者:坂口安吾
。然し、全然、その他のことに関心を持っていないだけのことなのである。 双葉山や
呉清源がジコーサマに入門したという。呉八段は入門して益々強く、日本の碁打はナデ切....
「呉清源」より 著者:坂口安吾
私は
呉清源と二度しか会ったことがない。この春、月刊読売にたのまれて、
呉清源と五子で対....
「碁にも名人戦つくれ」より 著者:坂口安吾
十何年前のことだが本因坊|秀哉名人と
呉清源(当時五段ぐらいだったと思う)が争碁を打ったころは碁の人気は頂点だった。当....
「戦後新人論」より 著者:坂口安吾
一昔前と思い合せれば、月とスッポンの差があって、当時は囲碁界に於て木谷怪童丸と
呉清源の両新人が現れて、碁界は三連星、天元等々新風サッソウたるにひきかえ、将棋の....
「安吾巷談」より 著者:坂口安吾
、競り合い、相手次第の賭が全部ということになるのだ。 碁や将棋でも同じことで、
呉清源や、木村や、大山は、特に妙手をさすでもなく、技術はさほどぬきんでてもいない....
「安吾巷談」より 著者:坂口安吾
ことが、ある種の人々に対しては真に可能であるか、という話がでたとき、同席していた
呉清源九段が、私もある期間その力が具わって人の病気を治し得たことがあった、と語っ....
「九段」より 著者:坂口安吾
う思いがけない結果になった。 私が「もみぢ」を知ったのは、足かけ四年前になる。
呉清源と岩本本因坊の十番碁が読売新聞の主催で行われることになり、その第一回戦がこ....
「明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
負、大試合を見物した中で、一ツだけ二度と見ることができそうもない珍勝負があった。
呉清源と岩本本因坊との十番碁の第一局であるが、当時、
呉清源をめぐってモロモロの十....