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呼号
「呼号〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
呼号の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「戦争中止を望む」より 著者:伊丹万作
能力を暴露しているにもかかわらずただ口頭のみにおいて空疎な強がりを宣伝し、不敗を
呼号して国民を盲目的に引きずって行こうとする現状にはもはや愛想が尽きている。 ....
「耽溺」より 著者:岩野泡鳴
がら筆を走らせていると、どこか高いところから、 「自分が耽溺しているからだ」と、
呼号するものがあるようだ。またどこか深いところから、 「耽溺が生命だ」と、呻吟す....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
会して一時の功名を遂げるのは比較的容易であると聞く。権を負い、才力を恃んで天下に
呼号するのは英雄豪傑の会心事でなければならぬ。 しかし純忠の志を地下に竭し、純....
「踊る地平線」より 著者:谷譲次
にはちとおどろかされる。 支那町|傅家甸の新世界で、川鮑魚湯だの葱焼海参だのと
呼号する偉そうできたない食を喫したのち、私たちは不可解な腕車をつらねて、喧騒と臭....
「踊る地平線」より 著者:谷譲次
あって、夜になると不思議にも電灯がともる。一つを「ピカデリイ」、他はオリムピアと
呼号し、前者はいま――というのは私のいたとき――ロン・チャニイ主演「刑罰」、後者....
「ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
をつづけていた。新たに悪戯《いたずら》をすることに、味方の者らは歓喜して天才だと
呼号していた。
ハスレルの徒党は、廃頽派《はいたいは》の文学者や画家や批評家か....
「漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
人間の雑誌ならばいかに期日が後れても差支なけれど、既に俳句雑誌などと天下を相手に
呼号する以上は主幹たる人は一日も発行期日を誤らざる事肝要かと存候。それも一日や二....
「二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
閑余の遊戯としか思っていなかった。平たくいうと、当時は硯友社中は勿論、文学革新を
呼号した『小説神髄』の著者といえども今日のように芸術を深く考えていなかった。まし....
「婦人の過去と将来の予期」より 著者:小川未明
付けた。そして、人間は欲望を離れて生活も存在もあり得ないと言うにあった。無理想を
呼号したのも、偶然でなかった。男女関係は欲望の充塞以外にないとも言った。その思想....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
て全村の八九割までが俳優であります。生活程度も向上してもはや特殊部落として改善を
呼号するの必要はない程のものでありますが、もとの地に依然として一つの部落を成して....
「特殊部落と寺院」より 著者:喜田貞吉
がことごとく真宗の信徒であるのは、畢竟これが為である。その他には、自ら旃多羅だと
呼号した日蓮上人開創の日蓮宗信徒が約四千六百戸で、これが宗派別の第二位におり、他....
「「特殊部落研究号」発行の辞」より 著者:喜田貞吉
彼らを解放し給える先帝の聖旨に副わざるのみならず、現時人種差別撤廃を世界に対して
呼号する我が同胞間にありて、なおこの差別撤廃の実現せられざる事は、まことに相すま....
「旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
これを主として済度されたのは親鸞聖人の一向念仏の宗旨であったが、自ら旃陀羅の子と
呼号した日蓮聖人もまたこの方面の教化を怠らず、今においてなおいわゆる特殊部落の約....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
惜しまなかったようである。彼は自身漁家の出として、旃陀羅すなわちエタの子であると
呼号して、法を説いたくらいであるから、もとより殺生者を疎外しない。そこで東海道筋....
「特殊部落ということについて」より 著者:喜田貞吉
いうことは、実にゆるがせにすべからざる、大問題である。世界に向って人種差別撤廃を
呼号している我が国民として、依然これを放任するという事は、内に省みて自ら忸怩たる....