和人[語句情報] » 和人

「和人〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

和人の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
石狩川」より 著者:本庄陸男
くり、アカダモの樹間には、庁舎、倉庫を立ちならばせた。九戸しかなかった昨年までの和人部落は、この年二百十一戸の市街地をつくり、十三人に過ぎなかった住人は、一躍五....
風に乗って来るコロポックル」より 著者:宮本百合子
の死目にでも会えないで、彼に譲るべき物を、あらいざらい、どこの馬の骨だか解らない和人《シサム》達にごちゃまかされたら、一体どう仕様というのだ。東京へだけは行って....
大阪を歩く」より 著者:直木三十五
、大和――とにかく、東西南北から他国人が入込んできている。 私の父も、母も、大和人であるから、私は、純粋の大阪人では無いが、とにかく、大阪で生れた人間として、....
海底都市」より 著者:海野十三
ら》われているらしいことだ。彼奴《あいつ》は、われわれの海底都市を破壊し、この平和人《へいわじん》をみな殺しにしようと思っているのではないか。果《はた》してしか....
一九二五年より一九二七年一月まで」より 著者:宮本百合子
○八重の経歴 一、八重の父 七つ位で死ぬ 一、母の姉のところに養女にやられたが、和人の夫とけんかをして出て来る。 一、家をたてたい一心、 一、十六七の時、母を説....
モンアサクサ」より 著者:坂口安吾
も、それぞれ仁義ある小悪党で、罪を憎まず、人の弱さを知り、およそ暴力を知らない平和人ばかりである。彼らの世界には幾多の恋や情痴はあっても、暴力というものはないだ....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
た藤原清衡が、それ自身俘囚であると認められたに不思議はなかるべきである。後世にも和人がアイヌの入婿となって、その酋長として活躍した例もないではない。されば彼は中....
「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
近ごろアイヌがよく人を欺く、これに対して注意を与えると、アイヌは、これはシャモ(和人)の真似をしているのですと答えますと言われた。北海道に入り込んで、アイヌ相手....
西航日録」より 著者:井上円了
、光りかがやく天ツ日の、照す所は皆我地、狭き国にて眠るより、出でゝ働け四千万、大和人種の苗裔が、五大洲に満ちてこそ、皇ら御国の御威光も、高く揚りて忠孝の、名実共....
えぞおばけ列伝」より 著者:作者不詳
告)してくれたのである.T老の父親はこの日ひどく出かけるのを渋ったのだが,有力な和人の頼みがあり,妻(T老の母親)も傍からしきりにすすめるので,いやいや出かけて....
あの世の入口」より 著者:知里真志保
てみようかと、妻をかたらい、夫婦ふたりの相乗りで舟をこぎ、交易に行ったのだった。和人の殿様のいる町に着いて、こちらから積んで行った交易品の熊の皮や鹿の皮を出すと....
学問ある蛙の話」より 著者:知里真志保
品ルイペを称して、鮭を凍らして生で食べるものであり、北海道北部の海岸地帯では現に和人もルイペと称してこれを賞味している。バチェラー博士の辞書はこれに対して「凍魚....
性に関するアイヌの習俗」より 著者:河野広道
、いささかの卑猥さも感じられない。健康な民族の性生活は健全である。アイヌもまた、和人の侵略を蒙るまでは、健康な社会生活を営んでいたから、その性生活は健全であった....
アイヌ宗教成立の史的背景」より 著者:知里真志保
ふだんはアイヌ部落にいて、狩猟なり漁撈なりを営んでおります。(二)彼は時を定めて和人の村へ交易に出かけて行きます。(三)その際、彼は壁際の衣桁から晴着をとり下し....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
其後離散して今の地に移ると云。又、享禄年七郷記并天正地子帳等当町を不之。」 『大和人物誌』一八一頁「加茂保豊は平安朝の人、奈良の頒暦師中尾するを以て氏とす。又其....