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和洋
「和洋〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
和洋の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「開化の良人」より 著者:芥川竜之介
ている、広重《ひろしげ》めいた松の立木――そこには取材と手法とに共通した、一種の
和洋|折衷《せっちゅう》が、明治初期の芸術に特有な、美しい調和を示していた。この....
「老妓抄」より 著者:岡本かの子
て、中庭に下町風の小さな池と噴水を作ってくれた。 彼女が自分の母屋《おもや》を
和洋折衷風に改築して、電化装置にしたのは、彼女が職業先の料亭のそれを見て来て、負....
「階段」より 著者:海野十三
ることとなった。先ず事務室へ入ると大きい机が一つと小さい机が一つと並んでいる外に
和洋のタイプライター台があった。そして四方の壁には硝子戸棚が立ち並んで、なんだか....
「食魔」より 著者:岡本かの子
なかった。感銘は一度限りであった。引き返してトンネル横町を徘徊してもただ汚らしく
和洋蕪雑に混っている擬いものの感じのする街に過ぎなかった。それゆえ彼は、蛍雪館へ....
「母子叙情」より 著者:岡本かの子
を描いた色刷りの浮世絵や単色の挿画を見て知っていた。いわゆる鹿鳴館時代と名付ける
和洋混淆の文化がその時期にあって、女の容姿にも一つタイプを作った。江戸前のきりり....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
いのと空地の多いのとを利用して、わたしも近所の人真似に花壇や畑を作った。花壇には
和洋の草花の種をめちゃくちゃにまいた。畑には唐蜀黍や夏大根の種をまき、茄子や瓜の....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
たのだ。しかし、神戸村の東の寂しく荒れはてた海浜に新しい運上所が建てられ、それが
和洋折衷の建築であり、ガラス板でもって張った窓々が日をうけて反射するたびに輝きを....
「火星探険」より 著者:海野十三
。手にあたったのが「越後獅子」であった。これならにぎやかなこと、まちがいなしだ。
和洋合奏のにぎやかな曲がはじまった。 すると、そのききめは、すぐ現れた。墓石の....
「めでたき風景」より 著者:小出楢重
しかしながら、大阪のカフェーは旅の空か何かで訪問したらさぞ不思議な竜宮だろう。
和洋の令嬢と芸妓、乙姫のイミタシオンたちがわれわれを直に取り巻いてくれる。しかし....
「ああ玉杯に花うけて」より 著者:佐藤紅緑
等が文子のもとへ遊びにくると、文子は兄の書斎を一覧させる、大きな書棚に並べられた
和洋の書籍を見てかの女等はいずれも驚歎の声をあげる。兄がほめられるのは文子に取っ....
「宝塚生い立ちの記」より 著者:小林一三
けは小学校修業十五歳以下の少女にかぎり、修業年限を三年とし、その間に器楽、唱歌、
和洋舞踊、歌劇を教授するものであって、我が国でもはじめての試みであった。 ....
「郊外生活の一年」より 著者:岡本綺堂
いのと空地の多いのとを利用して、わたしも近所の人真似に花壇や畑を作った。花壇には
和洋の草花の種を滅茶苦茶にまいた。畑には唐蜀黍や夏大根の種をまき、茄子や瓜の苗を....
「米国の松王劇」より 著者:岡本綺堂
でも上場されたことがあり、米国では紐育ではじめて上場されたのですが、その演出法が
和洋折衷で面白くないというので不評であったそうです。今度はその当時とまったく違っ....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
種々の知識を教えられた事はあるようだ。明治八、九年頃の画家|番附に淡島椿岳の上に
和洋画とあるのを以て推すと、洋画家としてもまた相応に認められていたものと見える。....
「雷門以北」より 著者:久保田万太郎
何ものもわたしは持たなくなった。「渋屋」は「ペイント塗工」に、「一ぜんめし」は「
和洋食堂」に、「御膳しるこ」は「アイスクリーム、曹逹水」におの/\その看板を塗り....