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「和談〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

和談の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
法窓夜話」より 著者:穂積陳重
致其実売買同様ノ所業ニ至リ以ノ外ノ事ニ付自今|可為《たるべき》厳禁事。 但双方和談ヲ以テ更ニ期ヲ延ルハ勝手タルヘキ事。 一、平常ノ奉公人ハ一箇年宛タルヘシ尤奉....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
である。大坂陣の時は老病の床に在ったが、子の重綱に対《むか》って、此戦は必ず一度和談になって、そして明年に結局を見るだろう、と外濠《そとぼり》を埋められてから大....
今昔茶話」より 著者:国枝史郎
その意に従った事。 第二は、日露戦争が終了し、小村侯が米国で、ウイッテ相手に講和談判をやっている時、米国の鉄道王ハリマンが日本へやって来て、日本の元老連を説き....
初看板」より 著者:正岡容
遠しとせず、後から汗だくで追い駆けてくっついてきますよ。 三月、いよいよ日清講和談判というめでたいときに私もめでたく三代目小さんの看板を上げました。このときに....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
五郎高貞・小田尾張権守高知を追討に向わしめたが、三年十月に至ってこの高貞・高知ら和談の儀をもって帰参すとあって、ついにこれを征服することが出来なかったのであった。....
私本太平記」より 著者:吉川英治
なにとぞ、訴状は一応、お取下げ願わしゅう存じまする」 「しからば、両家の間にて、和談のお腹よの」 「わが方にも、死者傷者十数名はあれど、足利方でも、同様、犠牲の....
私本太平記」より 著者:吉川英治
ちにも諮るべきであったろう。したが尊氏の感情として、そちの意見を入れてはしょせん和談はむずかしい」 「それは、むずかしいこと、よう心得ぬいておりまする」 「が、....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、師直は。 大和国平田ノ庄へ攻め入り、橘寺に陣して、西大寺の長老を招き、吉野へ和談の交渉をさせようとしたが、時すでに、南朝の天皇は、はやそこにはお在さぬとの聞....
山の人生」より 著者:柳田国男
風土記伝』には平賀・矢部二家の先祖、勅を奉じて討伐にきたと誌してはあるが、のちに和談成って彼らの後裔もまた同じ神に仕えたことは、秋葉|山住の近世の歴史から、これ....
大岡越前」より 著者:吉川英治
かれの民事の裁判は、判決でなく、仲裁のかたちをとることが多かった。かれの一声で、和談となった紛争では、いつも、喧嘩の双方に、充分な得心を与え、片手落ちがなく、双....