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和銅
「和銅〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
和銅の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「十二支考」より 著者:南方熊楠
るを致す〉。『続群書類従』に収めた「稲荷鎮座由来」には、荷田氏の祖は竜頭太とて、
和銅年中より百年に及ぶまで稲荷|山麓《さんろく》に住み、耕田採薪した山神で、面竜....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
になっている。これが聖徳太子時代に創建せられて、そのままの保存であるか、その後、
和銅に於て再建せられたものであるかという論争は、問題としても、人文史上の由々しき....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
○ ますらをの鞆の音すなりもののふの大臣楯立つらしも 〔巻一・七六〕 元明天皇
和銅元年、元明天皇御製歌である。寧楽宮遷都は
和銅三年だから、
和銅元年には天皇はい....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
かれこれいわなかったあの法隆寺の仁王さんは私は一見して結構だと思いました。これは
和銅年間に出来たもので、立派なものであります。法隆寺の仁王は、あれは化物だなどい....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
に係る法隆寺伽藍諸堂巡拝記などと題する案内記風の小冊子には、天平十九年の資財帳に
和銅四年の作と明記せる中門の力士を以て鳥仏師の作に帰し、またいかなる非再建論者と....
「古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
ある。 金堂を出て講堂に移る。この講堂はもと奈良の京の朝集殿であった。すなわち
和銅年間奈良京造営の際の建築である。しかし現在の建築には天平の気分はほとんど認め....
「古事記」より 著者:武田祐吉
を誦み習わしめた。しかしまだ書卷となすに至らないで過ぎたのを、奈良時代のはじめ、
和銅四年(七一一)九月十八日に、元明天皇が、太《おお》の安萬侶《やすまろ》(七二....
「古事記」より 著者:太安万侶
であります。そこで本辭の違つているのを惜しみ、帝紀の誤つているのを正そうとして、
和銅四年九月十八日を以つて、わたくし安萬侶に仰せられまして、稗田の阿禮が讀むとこ....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
残りの痩セ木君。 和布刈神社のメカリというのは、わかめの意味ですと教えられる。
和銅年間から、ここの速鞆の神主が、大晦日の晩には衣冠をつけ、鎌と松明を持って、わ....
「山の人生」より 著者:柳田国男
と称する川の上流であって、じつはかく申す私などもその至って近くの村に生れました。
和銅・養老の交まで、この通り風俗を異にする人民が、その辺にはいたのであります。 ....
「神代史の研究法」より 著者:津田左右吉
古事記』と『日本書紀』との巻頭にはいわゆる神代の巻という部分がある。『古事記』は
和銅五年(712 A.D.)『日本書紀』は養老四年(720 A.D.)に出来たも....