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咸臨丸
「咸臨丸〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
咸臨丸の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
かも夢のように、寛斎の視野のうちにはいって来るものがある。日本最初の使節を乗せた
咸臨丸がアメリカへ向けて神奈川沖を通過した時だ。徳川幕府がオランダ政府から購い入....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
、最近、最も参考すべき、日本人主催の航海経験があるというのは、安政六年に、幕府の
咸臨丸《かんりんまる》が、僅か百馬力の船で、軍艦奉行木村摂津守を頭に、勝麟太郎《....
「関牧塲創業記事」より 著者:関寛
やと問うたり。然るに伴鐵太郎の二男なりと。予は甞て長崎に在りし時、幕府の軍艦にて
咸臨丸は長崎滞泊中は該艦に乗組の医官無くして、予は臨時傭として病者及び衛生上に関....
「開運の鼓」より 著者:国枝史郎
開された。彼はこんな順に立身した。 蛮書翻訳係。軍艦練習所教授方頭取。それから
咸臨丸の船長として米国へ航海した事もあった。作事奉行格並に軍艦奉行。もうこの頃は....
「顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
って、 「お前も、多少は聞いているだろうが、こんど幕府が外国から買い入れた、例の
咸臨丸、これは、和蘭陀《おらんだ》のかんてるくというところで建造された軍艦で、木....
「瘠我慢の説」より 著者:福沢諭吉
ゅう》清見寺内《せいけんじない》に石碑《せきひ》あり、この碑は、前年幕府の軍艦|
咸臨丸《かんりんまる》が、清水港《しみずみなと》に撃《う》たれたるときに戦没《せ....
「瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
ずというその次第は、たとえば幕府にて始めに使節を米国に遣わしたるとき、彼の軍艦|
咸臨丸に便乗したるが、米国のカピテン・ブルックは帰国の後、たまたま南北戦争の起る....
「瘠我慢の説」より 著者:木村芥舟
にて先生及び夫人と鼎坐し、寒暄の挨拶了りて先生先ず口を開き、この間、十六歳の時|
咸臨丸にて御供したる人|来りて夕方まで咄しましたと、夫人に向われ、その名は何とか....
「「プラーゲ旋風」の話」より 著者:山下博章
めたいと云うに至っては、最早や我慢が出来かねる。幕末に勝海舟は、和蘭から買入れた
咸臨丸を日本人のみの手で運転し、太平洋を横断して米国に渡っている。楽壇の人達にも....
「咸臨丸その他」より 著者:服部之総
たって間違いのない記録は、ついこの間まで汽船を見たこともなかった日本の汽走軍艦|
咸臨丸《かんりんまる》である。
咸臨丸はその時(万延《まんえん》元年正月、一八....
「福沢諭吉」より 著者:高山毅
ーハタン号にのって太平洋をわたるわけですが、それといっしょに、幕府は、日本の軍艦
咸臨丸をアメリカへいかせることにしました。それにのりこむのは、軍艦奉行の木村摂津....