唐津[語句情報] » 唐津

「唐津〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

唐津の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
或る女」より 著者:有島武郎
ようだんす》のはめ込まれた一|間《けん》の壁に続いた器用な三尺床に、白菊をさした唐津焼《からつや》きの釣《つ》り花活《はない》けがあるのも、かすかにたきこめられ....
満韓ところどころ」より 著者:夏目漱石
、双方とも筑後《ちくご》久留米《くるめ》の住人だからである。幸い、肥前《ひぜん》唐津《からつ》に多々羅《たたら》の浜《はま》と云う名所があるから、せめて三平の戸....
島原の乱」より 著者:菊池寛
の十九間を柳川藩、次九間島原藩、次に十九間久留米藩、次百九十三間佐賀藩、次四十間唐津藩、次三百間は松平忠之兄弟、長蛇の陣はひしひしと原城をとり囲んだのである。信....
玄海灘密航」より 著者:金史良
けなかった。 それにしても卒業の年の初秋だったと思う、一度だけ郷里の或る学友と唐津へは行ったことがある。波の静かな夕暮で、海辺には破船だけが一つ二つ汀に打ち上....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ために、加賀の前田、筑前の黒田、豊前《ぶぜん》の細川、筑後の田中、肥前の鍋島及び唐津の寺沢、土佐の山内、長門《ながと》の毛利、阿波《あわ》の蜂須賀、伊予の加藤左....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
渋沢篤太夫、高松凌雲、箕作《みづくり》貞一郎、山内元三郎らをはじめ、水戸、会津、唐津等から、それぞれの人材が出かけることになりました。 それとはまた別に、長者....
幾度目かの最期」より 著者:久坂葉子
られたり。朝から五六本も電話がかかる。新聞のコントたのまれる。この二月に描いた、唐津での陶器がおくられ、その代金を書留で送ったところ、郵便局の手ちがいで、何度も....
わが血を追ふ人々」より 著者:坂口安吾
、このとき次兵衛一人を捕へるために大村藩は十六歳以上六十歳まで領内の男子総動員、唐津藩や長崎奉行、佐賀藩などから応援をもとめて総勢は数万に達し、全員を以て山全体....
酒渇記」より 著者:佐藤垢石
段など詮議しないでもよろしかろう。 正体なく酔い潰れたのを泥之泥という。肥前の唐津では、酔っ払いのことを『さんてつまごろう』と称えるが、これはどういう意味であ....
増上寺物語」より 著者:佐藤垢石
きあがるに違いない。試みに、一掴みの証書を取りあげて開いて見たら、そのうちに肥前唐津藩小笠原佐渡守から入れた金三百両の借用証書があった。これは小笠原長生将軍の先....
『鉢の子』から『其中庵』まで」より 著者:種田山頭火
鞋を穿いた。あの桜の老樹の青葉若葉を心に描きながら坂を下りて行った。 福岡へ、唐津へ、長崎へ、それから島原へ、佐賀へ、神湊へ、八幡へ、戸幡へ、小倉へ、門司へ、....
近作鉢の会に一言」より 著者:北大路魯山人
利用しているものに相当のものがあります。日本で四、五百年前すでに古瀬戸、古萩、古唐津、朝鮮唐津など当初から食器に出来たものが沢山あって、僅かに残されているものは....
素人製陶本窯を築くべからず」より 著者:北大路魯山人
家で指導したら、工夫したら、聡明な考え方をもってしたら、染付、赤絵、九谷、瀬戸、唐津、朝鮮、中国、なにほどのことやあらん。俺だ……俺だ……俺の頭だ、俺の知識だ、....
海にふぐ山にわらび」より 著者:北大路魯山人
のできる人を私は真にうらやましく思う。 去る一月、私は陶土の採取のために九州の唐津へ、そして天然のすっぽんの研究のために柳河へ行った。その帰途、ちょうど下関の....
くちこ」より 著者:北大路魯山人
らざるものがある。しかも、その酒杯が古染ネジなどであり、このわたの容器が朝鮮|斑唐津などの珍器であったとしたら、まったくもってたまらない。人生の楽事|亦多なる哉だ。 (昭和六年)....