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商才
「商才〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
商才の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
言わせると、馬籠は国境だ、おそらく町人|気質の金兵衛にも、あの惣右衛門親子にも、
商才に富む美濃人の血が混り合っているのだろう、そこへ行くと吉左衛門は多分に信濃の....
「共軛回転弾」より 著者:海野十三
ない、正当なる利得ですし、それにねえ鉛華さん……」 と、ベラントは此所を先途と
商才のありったけをぶちまけて、遂に鉛華を完全に手に入れてしまったのである。 そ....
「金銭無情」より 著者:坂口安吾
オコウちやんが相手ぢやア。こんなところへ商用に来るてえことが、最上先生は決定的に
商才ゼロですよ。こゝに於て商談は中止に及んで、もつぱら飲みませう。首くゝりも最上....
「わが血を追ふ人々」より 著者:坂口安吾
発したが用心棒といふ以外に父親の同伴の意味はなかつた。大人よりも利巧であつたし、
商才に富んでゐた。 二官の義弟の陳景は長崎の市長であつたが、四郎は当然王侯たる....
「神サマを生んだ人々」より 著者:坂口安吾
ね。先生が一肌ぬいで下さるなら、やりましょう」 「私が一肌ぬぐことはないよ。君の
商才をもってヌカリなくやりたまえ」 「
商才たって、商売チガイじゃ手も足もでやしま....
「保久呂天皇」より 著者:坂口安吾
は怒った。 「家伝とは何事だ。お前の代までなかったものではないか」 「それが商法
商才というものだ」 「モウモウとわきたつ草津の湯とちがって、お前の湯は小さいワカ....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
うの大ナマグサのせいであった。 けれども三休はおどろかない。坊主には惜しい商魂
商才、生活力旺盛であるから、お経なんぞあげない方が稼ぎになろうというものだ。その....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
。彼は家事向きの番頭となり、店では用のない存在となってしまった。 父も持ち前の
商才にたけてはいたが、田舎育ちのために、性格に反して大事をとり、手堅い商法からハ....
「生死卍巴」より 著者:国枝史郎
代においても、少し利口な人間であり、長崎などと往来し、紅毛人などと親しくし、多少
商才のある人間であったから、こういう部屋の構造や、こういう異国の古道具などは、造....
「名人地獄」より 著者:国枝史郎
、毎日来客が絶えなかった。以前の彼の身分といえば、微禄のご家人に過ぎなかったが、
商才のある質だったので、ご家人の株を他人に譲り、その金を持って長崎へ行き、蘭人相....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
危くズリ落ちそうなところで着物をおさえてくいとめる型を発明したとするなら、臨機の
商才しかも必ずしもワイセツではなく、このへんは大阪商人の鬼才たるところであるかも....
「猿ヶ京」より 著者:佐藤垢石
ると喜んだ、がほんとうは良縁ではなかった。婿さんというのは学校出ではあるけれど、
商才に長じた人物で、ちょうど支那事変がはじまった景気の動きに乗り、大資本を利用し....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
々|繁昌した。軽焼の売れ行は疱瘡痲疹の流行と終始していた。 二代目喜兵衛は頗る
商才があった。軽焼が疱瘡痲疹の病人向きとして珍重されるので、疱瘡痲疹の呪いとなっ....
「二葉亭追録」より 著者:内田魯庵
文人としての国士的表現であった。町人宗の開山|福沢翁が富の福音を伝道しつつも士魂
商才を叫んだ如く、当時の青年はコンパスや計算尺を持つ技師となっても、前垂掛けで算....
「フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
れがAさんの手に入ったものであるらしい。主人は土地や山林に関した仕事をしていた。
商才に長けてなかなか機敏な人であった。 「一寸、林務官が見えていますから。」と時....