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喜多八
「喜多八〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
喜多八の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「雛がたり」より 著者:泉鏡花
唯一人で店にいた。 ――これが、名代の阿部川だね、一盆おくれ。―― と精々|
喜多八の気分を漾わせて、突出し店の硝子戸の中に飾った、五つばかり装ってある朱の盆....
「眉かくしの霊」より 著者:泉鏡花
出すより、膝栗毛を思う方が手っ取り早く行旅の情を催させる。 ここは弥次郎兵衛、
喜多八が、とぼとぼと鳥居峠を越すと、日も西の山の端に傾きければ、両側の旅籠屋より....
「間諜座事件」より 著者:海野十三
黄世子 第五・ナンセンス・レビュー弥次喜多 ●第一景・プロローグ
喜多八 鴨川 布助 ●第二景・大阪|道頓堀 舞妓 歌島 定子 三条....
「般若心経講義」より 著者:高神覚昇
めの貴い資糧とせねばならぬと存じます。 ところで人生を旅路と考え、弥次郎兵衛、
喜多八の膝栗毛を思い、東海道五十三次の昔の旅を偲ぶとき、私どもは、ここにあの善財....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
のは、先生独得の見識の存するところで、その意見を聞いてみると、先輩の弥次郎兵衛と
喜多八が、東海道を旅行中に、名古屋を除外したというのが不平なのだ。 「べらぼうめ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ところはいやだ」 道庵先生の駄々。 「お嫌いでげすか。先年はあすこで弥次郎兵衛
喜多八の両君が、首尾よく大失敗をやらかして、みんごと江戸っ児の面《かお》へ泥を塗....
「七宝の柱」より 著者:泉鏡花
口を溢れそうに、なみなみと二合のお銚子。 いい心持の処へ、またお銚子が出た。
喜多八の懐中、これにきたなくもうしろを見せて、 「こいつは余計だっけ。」 「でも....
「歌行灯」より 著者:泉鏡花
処さ、旅籠屋へ着の前に、停車場前の茶店か何かで、一本傾けて参ろうかな。(どうだ、
喜多八。)と行きたいが、其許は年上で、ちとそりが合わぬ。だがね、家元の弥次郎兵衛....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ないこと。
ことに道庵の日頃尊敬しておかざる(?)ところの先輩、弥次郎兵衛氏、
喜多八氏の如きすら、図に乗って日本国の道中はわがもの顔に振舞いながら、金の鯱《し....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
一味の通謀策略の如きであります。
その以前、関東|名代《なだい》の弥次郎兵衛、
喜多八両名士が、聯合軍を組織して西国へ乗込んだ時の如きも、大阪方に於ては、弥次と....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
えている。これにはさすが江戸ッ児のキチャキチャ(チャキチャキの誤り)弥次郎兵衛、
喜多八でさえも荒胆《あらぎも》をひしがれたので、この一派は江戸者に対して常に一種....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
いきっているのです。この点においては、曾《かつ》て京都へ遊びに行った弥次郎兵衛と
喜多八とが、梯子を買ってもてあまして、京都の町を担ぎ歩いたようで、米友のは梯子よ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
をしてしまいました。 これはもとより、その志であったのです。先輩の弥次郎兵衛、
喜多八が、東海道中膝栗毛なんぞと大きい口を利《き》きながら、源頼朝が生れ、太閤秀....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
こんぴらどうちゅう》までしなければならないことに立至るのです。先輩の弥次郎兵衛、
喜多八は、京都で梯子《はしご》を一梃売りつけられたのでさえも、あの通り困憊《こん....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
を刻み込んでいるのである。 新蔵ばかりでなく、その時に「膝栗毛」の弥次郎兵衛と
喜多八とを勤めた二人の俳優も、ありありとわたしの記憶に残っている。弥次郎は中村鶴....