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「喜多川〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

喜多川の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
たくしは照葉狂言というものを知らぬので、青々園伊原さんに問いに遣った。伊原さんは喜多川季荘の『近世風俗志』に、この演戯の起原沿革の載せてあることを報じてくれた。....
不尽の高根」より 著者:小島烏水
繹する群集を見おろして、遥に高く雲の上に、睛を点じたものが富士山であったことは、喜多川歌麿の「霜月|見世開之図」や、長谷川雪旦の『江戸名所図会』一の巻、その他同....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ければ、曾《かつ》てこれを怠るということがありません。 ただ一つの惜しいのは、喜多川季荘ほどの考証癖があるか、せめてお雪ちゃんほどの文才があれば、この旅日記そ....
細木香以」より 著者:森鴎外
余り贅沢ではなかった。料理は不断|南鍋町の伊勢勘から取った。蒲焼が好で、尾張屋、喜多川が常に出入した。特に人に馳走をする時などは、大抵数寄屋町の島村半七方へ往っ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
天海僧正様の屋敷だし、徳川の三代将軍もあそこで生れたというところだ。近くはお前、喜多川歌麿という艶っぽいこと天下無類の浮世絵師も出ているし、狩野派《かのうは》で....
丹下左膳」より 著者:林不忘
団。 麻布から向島のはずれまで、たいへんな道のりです。 高大之進、井上近江、喜多川頼母ら、四、五人の頭株は、途中から辻駕籠にうち乗り、他の者はそれにひきそっ....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
長が三枚続児女江之島詣《さんまいつづきじじょえのしまもうで》の図の背景の如きまた喜多川《きたがわ》歌麿が隅田川渡船《すみだがわわたしぶね》の如き即ちこれなり。時....
妾宅」より 著者:永井荷風
いきかく》の家にもこれと同じような冬の日が幾度《いくたび》となく来たのであろう。喜多川歌麿《きたがわうたまろ》の絵筆持つ指先もかかる寒さのために凍《こお》ったの....
日和下駄」より 著者:永井荷風
平民の文学なる俳諧と狂歌あって始めて雑草が文学の上に取扱われるようになった。私は喜多川歌麿《きたがわうたまろ》の描いた『絵本|虫撰《むしえらび》』を愛して止《や....
魚紋」より 著者:吉川英治
取られ、悄ぼりと、もう石を崩した盤を、いつ迄、未練げに眺めていたのは、浮世絵師の喜多川春作だった。 気が弱くて、闘志がなく、おまけに碁はカラ下手と来ている春作....