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営中
「営中〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
営中の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「本州横断 癇癪徒歩旅行」より 著者:押川春浪
左程の振動でもないが、余り好《い》い気持のものでもない。しかしこんな高山絶頂の野
営中に地震に出逢うとは、一生に再び有る事やら無い事やら、これも後日一つ話《ばなし....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
けずに残らねば何にもならぬ。 ◯七月八日は栗橋の吉田修子さんの婚礼があり、目下入
営中の戸主・卓治さんの心持もあり、私はその式に列した。それから平磯へいって講演を....
「単独行」より 著者:加藤文太郎
みると、名古屋の二人と案内二人、道連れの二人、計六人の人が小屋のようなところで露
営中なのだ。さっそく一緒に泊めてもらうことにしたが、こう道に迷って予定の狂うのに....
「運命」より 著者:幸田露伴
の敗れしことを聞きて還りぬ。燕王、真定の攻め難きを以て、燕軍は回出して糧を取り、
営中|備無しと言わしめ、傑等を誘う。傑等之を信じて、遂に※等を擒にし、斬首六万余....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
きもとむら》、下幸村《しもゆきむら》、鹿沼新田《かぬましんでん》の三か所に、御造
営中あらたに関所を設け、お先手衆《さきてしゅう》ひと組ずつ年《とし》番で勤めたも....
「雪之丞変化」より 著者:三上於菟吉
」
――さては、浪路が大奥を出て失踪の身となっている間に、政敵が手をのばして、
営中の勢力を根こそぎにしてしまったものだな。
と、察した父子――しかし、今更、....
「その年」より 著者:宮本百合子
なって、儲けさえ焦らなんだら、やっては行けそうに思う」 三年ばかり前に源一が入
営中働いていた友三という運転手が、最近トラックの徴発で体が空いた。もし今井で使っ....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
さんざんに打ち据えて、遂に無残に打ち殺してしまったので、戴の妻の梁氏は夫の死骸を
営中へ舁き込んで訴えた。通事は人殺しの罪をもって捕えられた。 この通事は身分の....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
た「行儀の娘」の外題で開演するに付き、前の座主マルクス・キンツス・マルチウスの経
営中に劣らず出精《しゅっせい》致しますれば、貴顕紳士は相替らず御贔屓《ごひいき》....
「躯」より 著者:徳田秋声
もんだとかいうでね。自分の忰を賞めるのは可笑しうがすけれど、出来たにゃ出来た。入
営中の勉強っていうものが大したもんで、尤も破格の昇進もしました。それがお前さん、....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
、玄宗、不空三蔵をして祈らしむると、毘沙門の王子、兵を率いて府を援《すく》い、敵
営中に金色の鼠ありて弓絃を皆断ったので大勝利となり、それより城楼|毎《つね》に天....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
びび》しく登城して、上様《うえさま》から大名衆一統へいのこ餅をくださる――これが
営中年中行事の一つだが、毎年この日に曙の里小野塚鉄斎の道場に秋の大試合が催されて....
「私の活動写真傍観史」より 著者:伊丹万作
送りにきた父と二人で活動写真を見た。その写真は井上と水谷の「寒椿」である。 入
営中も伊藤は筆まめに手紙をくれたが、封筒の中にはいつも、その時々の彼の脚色した写....
「戦死者の凱旋」より 著者:田中貢太郎
た第六中隊は、中隊長代理として畑|俊六将軍がいた。 長谷川君はその野砲連隊に入
営中、不思議な事を経験した。それは昔から良く云う草木も眠る丑満時で、午前の二時頃....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
えていたのに、一七四一年四月初め突如墺軍が国境を越えて攻撃し来たり、大王の軍は冬
営中を急襲せらるるに至った。普(プロイセン)軍は狼狽して集結を図り、四月十日モル....