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嘉暦
「嘉暦〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
嘉暦の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
という句に非常に感動してこの歌を選んだ。このナギヌルの訓は従来からそうであるが、
嘉暦本にはイマゾユキヌルと訓んでいる。「あが念へる情和ぐやと、早く来て見むとおも....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
年のころいったん法験を見た(『称名寺文書』)と思ったのも束の間で、元亨・正中より
嘉暦に渉ってさらにその乱相つぎ、幕府は
嘉暦元年工藤右衛門尉祐貞を蝦夷追罰使として....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
た。はじめからいうと三十九年目に当るのである。為相はその後正二位権中納言に昇り、
嘉暦三年六十六で薨じた。家集は『藤谷和歌集』という。後妻腹で、為氏・為教よりはる....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
るが。 鎌倉改組と、わずか二日ちがいで、朝廷でも、改元ノ儀が行われ、この年を、
嘉暦元年 とするの令が、天下に布かれた。 が、すべては単なる時事にすぎず、事....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
だと、愁訴しているように読まれる。 そして。その主謀は。 天皇の第三皇子で、
嘉暦二年以来、叡山に入っておられる前ノ天台の座主、尊雲法親王(大塔ノ宮)と、日野....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
自覚もないことが、いちばいな悲劇であった。絢爛豪奢な喜劇でもあった。 すでに、
嘉暦(六年前)のころ。 高時はいちど、執権職を退いて、職は金沢貞顕にゆずり、ま....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
が、特に東寺では、掃除を主としたものであったらしい。『東寺文書』に、 件。 (
嘉暦二) 三月廿一日 左中将隆資奉 進上 ....