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「嘉永〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

嘉永の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
黒衣聖母」より 著者:芥川竜之介
十一の秋だったそうです。年代にすると、黒船が浦賀《うらが》の港を擾《さわ》がせた嘉永《かえい》の末年にでも当りますか――その母親の弟になる、茂作《もさく》と云う....
或る女」より 著者:有島武郎
。葉子はなんとなくその行燈に興味をひかれてしまっていた。いたずら好きなその心は、嘉永《かえい》ごろの浦賀《うらが》にでもあればありそうなこの旅籠屋《はたごや》に....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ていたらしい。ところが、ここに一つの不思議な事件が出来《しゅったい》したのです」嘉永六年七月には徳川|家慶《いえよし》が薨去《こうきょ》したので、七月二十二日か....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
一 「これも狐の話ですよ。しかし、これはわたくしが自身に手がけた事件です」と、半七老人は笑った。嘉永二年の秋である。江戸の谷中《やなか》の時光寺という古い寺で不思議の噂が伝えら....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
嘉永五年八月のなかばである。四谷伝馬町の大通りに小鳥を売っている野島屋の店さきに....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ような大きい立派な額がかけられて、額には草書で『報恩額』と筆太にしるしてあった。嘉永|庚戌、七月、山村菱秋書という落款で、半七先生に贈ると書いてあるのも何だかお....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
の店をのぞいて通るのでございます。 祖母は震災の前年に七十六歳で歿しましたが、嘉永元年|申歳の生れで、それが十八の時のことだと申しますから、たぶん慶応初年のこ....
異妖編」より 著者:岡本綺堂
も有名なものになっているが、それらとはまたすこし違ってこんな話が伝えられている。嘉永初年のことである。四谷塩町の亀田屋という油屋の女房が熊吉という小僧をつれて、....
」より 著者:岡本綺堂
いなかに、二、三匹の蛍が飛んでいた。 「忘れもしない、わたしが二十歳の春だから、嘉永六年三月のことで……。」 三月といっても旧暦だから、陽気はすっかり春めいて....
」より 著者:岡本綺堂
いな。では、早速に本文に取りかかる事にしよう。」と、老人も話し始める。 「これは嘉永四年の話だと思ってもらいたい。君たちも知っているだろうが、江戸時代には観世物....
蜘蛛の夢」より 著者:岡本綺堂
一 S未亡人は語る。 わたくしは当年七十八歳で、嘉永三年|戌歳の生れでございますから、これからお話をする文久三年はわたくしが十四....
孟母断機」より 著者:上村松園
憶い出すごとに、一代の儒者、安井息軒先生の、右のお言葉を連想するを常としている。嘉永六年アメリカの黒船が日本に来て以来、息軒先生は「海防私議」一巻を著わされ、軍....
妖怪学一斑」より 著者:井上円了
とき、仏教が渡来して疫病が流行し、くだって敏達天皇の朝に至って、また疫病流行し、嘉永年間、米国の軍艦が渡来して彗星が現れたということがあります。これは、ひとり和....
『火星兵団』の作者の言葉」より 著者:海野十三
達しているとしたら、彼等は、いつ地球へ向けて、手をさしのべてくるかもしれません。嘉永年間、浦賀へアメリカの黒船が来たとき、日本人はおどろきましたように、大宇宙の....
自来也の話」より 著者:岡本綺堂
たところから、図に乗って止度も無しに書きつづけているうちに、第十一編を名残として嘉永二年に作者は死んだ。しかも児雷也の流行は衰えないので、そのあとを柳下亭種員が....