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嘖
「嘖〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
嘖の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「青木の出京」より 著者:菊池寛
しか彼が、近藤家へ移ってからのことであった。その頃、京都大学の哲学教授で、名声|
嘖々《さくさく》として、思想界の注目をひいていた北田博士が珍しく上京して、大学の....
「若杉裁判長」より 著者:菊池寛
で、五万以上も人口のあるこの△△△市で、若杉裁判長といえば、名裁判長として令名が
嘖々《さくさく》たるものでありました。 が、若杉さんの令名が、頂上に達した頃で....
「島原心中」より 著者:菊池寛
百円かの端金に違いない。そうした金のために、十年の間、心も身体も、めちゃくちゃに
嘖まれた彼女が、他の手段では、脱し切れない境地を、死をもって脱しようとすることは....
「運命」より 著者:幸田露伴
馬琴と為す。馬琴の作るところ、長篇四五種、八犬伝の雄大、弓張月の壮快、皆|江湖の
嘖々として称するところなるが、八犬伝弓張月に比して優るあるも劣らざるものを侠客伝....
「風流仏」より 著者:幸田露伴
と余程おかしな者、爺の考では恐らく女に溺れる男も男に眩に顔色なからしめたる評判|
嘖々たりし当代の佳人岩沼令嬢には幾多の公子豪商熱血を頭脳に潮して其一顰一笑を得ん....
「連環記」より 著者:幸田露伴
神を見て父に注意したと語り伝えられた其道の天才であり、又保胤の父の忠行は後の人の
嘖々として称する陰陽道の大の験者の安倍晴明の師であったのである。此の父兄や弟や姪....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
子某 むかし娘がいたが、父母に知らせず窃かに一人の青年に接した。青年は父母の呵
嘖を恐れて、稍猶予のいろが見えた時に、娘が此歌を作って青年に与えたという伝説があ....
「化生のもの」より 著者:豊島与志雄
それは却って悪結果になるかも知れません。 私はいつも非常な恐怖と悲哀と歓喜とに
嘖まれました。自分の道ならぬ恋愛を怖れました。地位や身分や境遇から考えても、いず....
「可能性の文学」より 著者:織田作之助
。また、べつの親戚の娘は、女学校の入学試験に落第したのは、親戚に私のような悪評|
嘖々たる人間がいるからであると言って、私に責任を問うて来た。ある大家が私の作品を....
「最初の出品画」より 著者:上村松園
い出となっている。 東京の跡見玉枝、野口小蘋の両女史、京都の岩井蘭香という名声
嘖々たる女流画家に伍して、十八歳の私が出品出来、しかもそれが入賞したのであるから....
「漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
三十八年一月発行の『ホトトギス』の巻頭に載せた。この一篇が忽ち漱石氏の名を文壇に
嘖々たらしめた事は世人の記憶に新たなる所である。 漱石氏の機嫌が悪かったという....
「二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
フを愛読したのも文章であって、晩年余りに感服しなくなってからもなお修辞上の精妙を
嘖々し、ドストエフスキーの『罪と罰』の如きは露国の最大文学であるを確認しつつもな....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
が彼女の全盛期であったのであろう。女団洲粂八の名は東京中に知れ渡って、その名声|
嘖々たるものであった。 ここに記憶すべき出来事は、その年の八月、劇場における男....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
も扉にも春廼舎朧著と署して二葉亭の名は序文に見えるだけだから、世間は春廼舎をのみ
嘖々して二葉亭の存在を少しも認めなかった。二葉亭の名が一般読書人に知られて来たは....
「棚田裁判長の怪死」より 著者:橘外男
に、到頭|高手小手に締め上げられてしまいました。 「殴ったり蹴ったり、散々に責め
嘖んだ挙句、あろうことかあるまいことか! しまいには、その坊さんにね、此奴が腰元....