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嘛
「嘛〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
嘛の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「悟浄歎異」より 著者:中島敦
え、そのまま五指を化して五行山《ごぎょうざん》とし、悟空をその山の下に押込め、※
嘛※叭※吽《おんまにはつめいうん》の六字を金書して山頂に貼《は》りたもうた。世界....
「人外魔境」より 著者:小栗虫太郎
った》に訪れてこない。私たちはいま、ここが人界の終点だろうと思うバダジャッカの喇
嘛《らま》寺で、いまに現われるという彩光をみようとしている。
やがて、頬をさす....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
叉は美女である。蔡の見たのも或いはこの夜叉のたぐいであるかも知れない。 喇
嘛教 喇
嘛教には二種あって、一を黄教といい、他を紅教といい、その衣服をもって区....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
たゆうべに宿舎の門を出ると、斜陽は城楼の壁に一抹の余紅をとどめ、水のごとき雲は喇
嘛塔を掠めて流れてゆく。 南門外は一面の畑で、馬も隠るるばかりの高粱が、俯しつ....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
金を糞に出す驢牛等の譚も出来たのだ。アストレイの『西蔵《チベット》記』に、大|喇
嘛《ラマ》の糞尿を信徒に世話しやりて多く利を得る喇
嘛僧の事を載す、蒙古人その糞の....
「幸福のうわおいぐつ」より 著者:アンデルセンハンス・クリスチャン
の鏡は、うそらしいほど大きくみせるようにできていました。床のまんなかには、達頼喇
嘛のように、その持主のつまらない「わたし」が、じぶんでじぶんの家の大きいのにあき....
「北京・青島・村落」より 著者:豊島与志雄
れているし、中南海園の楊柳の小枝は、広い蓮池の周辺にそよいでいるし、北海公園の喇
嘛の白塔の付近には、さまざまの小記念物が散在しているし、景山の頂からは、全市の大....
「レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
いかと。僕もアジアは滑稽《こっけい》であることに同意する。しかし僕は諸君は達頼喇
嘛《ダライラマ》を笑い得るの権利があるとは認めない。西欧民族たる諸君は、イサベラ....
「白塔の歌」より 著者:豊島与志雄
北冥之鯤、南冥之鵬」という聯がついてる小亭からは、遙かに、北海公園の小山の上の喇
嘛の白塔が見えました。荘太玄はその眺めをあまり好まず、樹木を植えて展望を遮ろうか....
「一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
あったから、特にこの市場に注意を惹かれたのであった。 この旅中に日本人の一|喇
嘛僧に会い、支那では古来八月十五夜に「月餅」と称する菓子を拵え、これを月前に供え....
「血ぬられた懐刀」より 著者:国枝史郎
ギアマンの水注がある。そうしてその色は紫である。盛られているのは水だろうか? 喇
嘛僧形の薬壺がある。そうしてその色は漆黒である。どのような薬が入っているのであろ....
「新西遊記」より 著者:久生十蘭
応|刹土《さつど》と誇る、おそるべき二百万人のラマ教徒が住んでいる。 ラマ(喇
嘛)教は、神力加持を説く密教(仏教の一流派)を精霊信仰の西蔵の原宗教(シャマニズ....
「バークレーより」より 著者:沖野岩三郎
って自分に面して来るのを誰でも気づくであろう。だから此のカムパニールは、満州の喇
嘛塔のように迷路の標塔でもある。 セイサア女史は校門の落成は見たらしいが、此の....
「環礁」より 著者:中島敦
おし》えは固く守られていると見えて、今でも、この島の最後の者たるべき女の児は、喇
嘛《ラマ》の活仏《いきぼとけ》のように大事にされている。成人《おとな》ばかりの間....
「女の膝」より 著者:小山内薫
々物凄い、私は最早苦しさと、恐ろしさとに堪えかねて、跳起きようとしたが、躯一躰が
嘛痺れたようになって、起きる力も出ない、丁度十五分ばかりの間というものは、この苦....