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四十九日
「四十九日〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
四十九日の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
です。縁ならぬ縁でしたが、目をかけた配下の善光寺|辰《たつ》が死んでみれば、まだ
四十九日もたたないうちに、めでたいどころの騒ぎでない。 「服喪中につき、年賀欠礼....
「とむらい機関車」より 著者:大阪圭吉
様に思われて来て、その後も相変らず事故の起った度毎に、新しい花環を操縦室の天井へ
四十九日間ブラ下げる事を殊勝にも忘れようとはしなかったんです。そして何日の頃から....
「雛妓」より 著者:岡本かの子
しの実家の父が歿くなってから四月は経つ。わたくしのこころは、葬儀以後、三十五日、
四十九日、百ヶ日と過ぐるにつれ、薄らぐともなく歎きは薄らいで行った。何といっても....
「わが町」より 著者:織田作之助
客の心を惹いているように誤解されていることは、さきに述べた通りである。 父親の
四十九日が済んで間もなく、紋附きを着た男が不意に来て、義枝の縁談であった。 気....
「連環記」より 著者:幸田露伴
と、おかしいような気がする。寂心は長保四年の十月に眠るが如く此世を去ったが、其の
四十九日に当って、道長が布施を為し、其|諷誦文を大江匡衡が作っている。そして其請....
「お奈良さま」より 著者:坂口安吾
と発熱して悪夢にいくたびとなくうなされた。 ★ 初七日から
四十九日までのオツトメの日には代理の高徳をさしむけてホトケの冥福を祈ってもらった....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
は千頭津右衛門の妻ではございませんか。主人が死んで一周忌もすまぬのに、三十五日、
四十九日の法要もつとめずに、どうしてこの家がうごかれましょうか。女ばかりの私たち....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
★ 日本橋にチヂミ屋という呉服問屋があった。先代が死んで、ようやく
四十九日がすぎたばかりというとき、小沼男爵が坂巻多門という生糸商人をつれてやって....
「あの世から便りをする話」より 著者:海野十三
宜かろうか」と聴いて見ました。そうしたら「そうだね、それは軈て一週間程すると僕の
四十九日が来るから、その時に一つ出して貰いたい」こういう話でした。ところが一週間....
「塩原多助一代記」より 著者:三遊亭円朝
、仮令人が婿を世話アしても、一周忌でも済んだら貰うべえと云って断るのが本当だに、
四十九日も経たねえのに家へ婿を取るとはひでえじゃがんせんか、多助さんも此の家を出....
「鯉」より 著者:岡本綺堂
日々の参詣人がおびただしく、塚の前には花や線香がうず高く供えられた。四月廿二日は
四十九日に相当するので、寺ではその法会を営んだ。鯉の七々忌などというのは前代未聞....
「子をつれて」より 著者:葛西善蔵
学通が云った。 また、つい半月程前のことであった。彼等の一人なるYから、亡父の
四十九日というので、彼の処へも香奠返しのお茶を小包で送って来た。彼には無論一円と....
「按摩」より 著者:小酒井不木
いて見ると、旦那、その日をいつだとお思いになります? 奴が死んだ日から、ちょうど
四十九日目でしたよ。 その翌日からは、不思議にも、モルヒネがほしくなくなりまし....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
葬之儀は諸君へむだの日を費させ候に付堅く不可致事、但し初七日仏参之儀は都合に依り
四十九日を当日と定め相延し可申事。 右者亡父遺言状仮葬之翌日相開き一覧致候処本葬....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
とを自ら言わぬその時はどういう風にして極めるかといえば、まず誰か尊いラマが死んで
四十九日経ちますと、その魂はどこかへ生れて行くことに極って居るというのがチベット....