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四家
「四家〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
四家の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「職業婦人気質」より 著者:吉行エイスケ
であった、鋪道《ほどう》のアヴァンチュールにかけては華やかな近代娘の典型であった
四家フユ子が、赤い梯子《はしご》を登ったのだ。 粋な銀座の裏街のホテルの一室で....
「神社合祀に関する意見」より 著者:南方熊楠
かが分かる材料ともなるべきなり。その辺に三尾川《みおかわ》という所は、旧家十三、
四家あり、毎家自家の祖神社あり、いずれも数百年の大樟樹数本をもって社を囲めり。祖....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
」 吉五郎は職人の方へ向き直ると、源蔵も小声で話し出した。 「実は昨晩、高田の
四家町《よつやまち》まで参りまして、その帰り途に目白坂の下まで参りますと、寺の生....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
随園先生と呼んで居りました。彼は詩文の大家で、種々の著作もあり、詩人としては乾隆
四家の一人に数えられて居ります。 子不語の名は『子は怪力乱神を語らず』から出て....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
張しましたのは、確かにそれと充分の心当りがあればこそなのです。名古屋城には加藤の
四家というのがございまして、それがいずれも清正の正統と称しているのです、その加藤....
「死者の書」より 著者:折口信夫
が、皆持った心おどりに、はなやいだ、明るい気がした。 だが併し、あの郎女は、藤原
四家の系統で一番、神さびたたちを持って生れた、と謂われる娘御である。今、枚岡の御....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
に罰を受けた。おもなる士分の講釈日には君侯も来て聴かれた。 武芸の方は、弓術が
四家、剣術が三家、槍術が三家、馬術が一家、柔術が一家で、これだけ明教館に附属した....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
ひさひろ》は、一所持と称される家格の人であった。一所持、一所持格といえば、御一門
四家につづく家柄であった。
御一門とは、重富、加持木、垂水、今和泉の領主で、悉....
「勝太郎」より 著者:兼常清佐
れでも少し練習すれば普通のリードにはさしつかえなくなるであろう。話に聞くと有名な
四家夫人がラジオで『越後獅子』とかを唄って大いに喝采を博した事があるそうである。....
「冒した者」より 著者:三好十郎
六階ぐらいの高さがあろう。まわりの庭園は荒れ果てている。 この家に、家族にして
四家族、と言うか五家族と言うか、九人の人が住んでいる。みんな良い人たちだ。三階で....
「鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
、大したことがあるものか」 「その偉業が成る前には、蜂須賀家ぐらいの大名、三家や
四家は、狼火がわりにケシ飛ぶであろう」 「ウム」うなずくと見せて―― 突然。 ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
ておこうとした。――彼の黒表にのぼっていたおもなる大族は菊池、阿蘇、少弐、大友の
四家だった。 その召集をうけた肥後の菊池武時は、 「ただではすむまい。いッそ迎....
「べんがら炬燵」より 著者:吉川英治
、公儀の処分を待ったのである。その結果、一同四十六名を、水野、松平、毛利、細川の
四家へわけてお預けと決ったのは夜で、雨の中を、まるで戦のような人数に警固され、こ....