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「四書五経〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

四書五経の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
戯作三昧」より 著者:芥川竜之介
りでげす。まるで腹には、何にもありやせん。あればまず寺子屋の師匠でも言いそうな、四書五経の講釈だけでげしょう。だからまた当世のことは、とんと御存じなしさ。それが....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
の試験で、身分の高下を問わず、武家の子弟が十二三歳になると、一度は必ず聖堂に出て四書五経の素読吟味を受けるのが其の当時の習慣で、この吟味をとどこおりなく通過した....
菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
ょうが、お手前様から宜しくお詫びを願いたい、若し寺へまいるような子供でもあれば、四書五経ぐらいは教えましても好し、何うしても困る時には御厄介にならんよう、人家の....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
。」 「香蔵さん、そう君に言われると、わたしなぞはなんと言っていいかわからない。四書五経から習い初めたものに、なかなか儒教の殻はとれませんよ。」 強雨はやまな....
田舎教師」より 著者:田山花袋
った。今は町の役場に出るようになったのでよしたが、三年前までは、町や屋敷の子弟に四書五経の素読を教えたものである。午後三時ごろから日没前までの間、蜂のうなるよう....
老年と人生」より 著者:萩原朔太郎
た。封建時代はもっとひどく、すべての少年や青年たちが、老人と同じように教育され、四書五経等の経書《けいしょ》によって、すべての青春的なる自然性を抑圧され、一切の....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
藤橘《げんぺいとうきつ》、それから三字経《さんじきょう》に千字文《せんじもん》、四書五経の素読《そどく》まで俺らは習っているんだ」 米友は少しく得意の体《てい....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
大衆という文字を見たことがあるように思いました。 尚書ではなし、礼記ではなし、四書五経のうちには、大衆という文字はねえ……してみると、諸子百家、老荘、楊墨、孟....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
りなりにも自分の見識の立たなかった書物というものは、まず今までになかったのです。四書五経の如きも一度は目を通したことがあるに相違ないのですが、今日ここで単独につ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
そのなかには、貸本の筆耕をして飲代《のみしろ》にありついているのもありました。四書五経の講義ができるぐらいのものもありました。 江戸で芝居という芝居を見つく....
旧藩情」より 著者:福沢諭吉
ひとり》もなく、内職の傍《かたわら》に少しく武芸《ぶげい》を勉《つと》め、文学は四書五経《ししょごきょう》歟《か》、なお進《すすみ》て蒙求《もうぎゅう》、左伝《....
落語・教祖列伝」より 著者:坂口安吾
あきれるわい。そんなら、きっと、仕込んでみせるか」 「どのぐらい仕込んでやろう。四書五経、史記などは、どうだ」 「大きなことを言うな。名前が書けて、ちょッとした....
学校の説」より 著者:福沢諭吉
学に入らしむるの説もあれども、漢字を知るはさまで難事にあらず、よく順序を定めて、四書五経などむつかしき書は、字を知りて後に学ぶべきなり。少年のとき四書五経の素読....
読倫理教科書」より 著者:福沢諭吉
ず、天下後世の人がその書を尊信するは、その聖賢の徳義を尊信するがゆえなり。支那の四書五経といい、印度の仏経といい、西洋のバイブルといい、孔孟、釈迦、耶蘇《ヤソ》....
小学教育の事」より 著者:福沢諭吉
ぶ》したるべきのみ。古来、田舎にて好事《ものずき》なる親が、子供に漢書を読ませ、四書五経を勉強する間に浮世の事を忘れて、変人奇物の評判を成し、生涯、身を持て余し....