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四条
「四条〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
四条の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「偸盗」より 著者:芥川竜之介
だ一度、あの女を見たばかりで、とうとう今のように、身をおとした。……
すると
四条坊門《しじょうぼうもん》の辻《つじ》を、南へやる赤糸毛《あかいとげ》の女車《....
「邪宗門」より 著者:芥川竜之介
《か》ねるのだそうでございます。これは私の甥が見かけたことでございますが、ある日
四条の大橋を通りますと、橋の下の河原に夥《おびただ》しい人だかりが致して居りまし....
「画学校時代」より 著者:上村松園
仏教の学校のように感じます。東宗北宗などと言いますと…… 東宗というのは柔かい
四条派で、主任の先生は望月玉泉さん。 西宗というのは、新しくぼっこうした西洋画....
「あのころ」より 著者:上村松園
しさをときどき話していられました。 元治元年の年のことであります。 間もなく
四条御幸町西入奈良物町に家をたてて、そこで今度は刀剣商をはじめました。 参勤交....
「作画について」より 著者:上村松園
年少の頃から、研究の推移をふり返ってみますと、大体において南宗、北宗から円山
四条派におよび、土佐や浮世絵などをもくぐって来、それに附加して博物館とか神社仏閣....
「三人の師」より 著者:上村松園
れた、いわば育ての親とも言うべき大切な師なのである。 松年先生の画風というのは
四条派のしっかりしたたちで、筆などもしゃこっとした質のもので狸の毛を用いたのをよ....
「幼き頃の想い出」より 著者:上村松園
は、私の幼い日のことどもでございます。私がまだ尋常三年生かそこらの頃、私達一家は
四条の河原町の近くに住居を持って居りましたが、その河原町の
四条下った東側に菊安と....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
であったそうでございます。家業柄、私の生まれ育ちましたのは、京都でもっとも繁華な
四条御幸町でありました。一人の姉と共に、母の手一つで育てられたのでございます。 ....
「京のその頃」より 著者:上村松園
私は京の
四条通りの、今、万養軒という洋食屋になってるところにあった家で生まれた。今でこそ....
「四条通附近」より 著者:上村松園
四条柳馬場の角に「金定」という絹糸問屋があって、そこに「おらいさん」というお嫁さ....
「京の夏景色」より 著者:上村松園
が昔のままの形で残っているだけのことです。あの擬宝珠の橋とコンクリートのいかつい
四条大橋とを較べて見たら時の流れというものの恐ろしい力が誰にも肯けましょう。私に....
「白花の朝顔」より 著者:泉鏡花
に出ているのは、箕原路之助――この友だちが、つい前日まで、祇園で一所だったので、
四条の芝居を打上げた一座が、帰って来て、弥生興行の最中だとお思い下さい。 (……....
「今日になるまで」より 著者:上村松園
私は明治八年四月二十三日
四条通り御幸町西へ行った所に生まれました。父はこの年の二月既に歿して、私は二十六....
「想い出」より 著者:上村松園
の時、仏光寺の開智校と申す小学校に入学致しましたが、この時分から私は絵が好きで、
四条に野村という儒者が居られましてこの方から絵を習いました。これが私の絵の習い始....
「六日月」より 著者:岩本素白
を歩く。 秋も漸く深い夜を、東山の影は黒々と眠って居たが、恵比須講の灯に明るい
四条通り、殊に新京極の細い小路にはいる辺りは、通り切れぬほどの人出であった。
四条....